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サンフランシスコ交響楽団|藤原聡   

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2016年11月21日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
指揮:マイケル・ティルソン・トーマス
ピアノ:ユジャ・ワン
トランペット:マーク・イノウエ

<曲目>
ブライト・シェン:紅楼夢 序曲(サンフランシスコ交響楽団委嘱作品/日本初演)
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 op.35
(ソリストのアンコール)
ユーマンス:2人でお茶を(ユジャ・ワン&マーク・イノウエ)
チャイコフスキー『白鳥の湖』~4羽の白鳥の踊り(ユジャ・ワン)
マーラー:交響曲第1番 ニ長調

2012年以来、4年ぶりの来日となるサンフランシスコ交響楽団(SFS)。その際のティルソン・トーマス(MTT)指揮によるマーラー:『交響曲第5番』は語り草になるような名演奏で、幸運にも会場(サントリーホール)に居合わせた筆者は「このコンビこそアメリカ最強!」と強く実感したことをはっきりと思い出す。当夜もMTT得意のマーラーである。期待するな、という方が無理であろう。さて今回はどうか。

1曲目はSFS委嘱作品のブライト・シェンによる『紅楼夢 序曲』。当夜のプログラムによれば「『三国志』、『水滸伝』、『西遊記』と並ぶ中国の四大名著『紅楼夢』に基づく作品」(山田真一氏)。これを中国生まれの米国移民の作曲家であるブライト・シェンがまずはオペラとして作曲したという(9月にサンフランシスコ歌劇場にて初演)。とほぼ同時にSFSより作曲の依頼があり、オーケストラのための序曲が同じ9月にSFSにより初演された。紛らわしいが、当夜演奏された序曲はオペラの序曲ではなく、演奏会用序曲としてオペラとは別に作曲された曲である(しかしオペラで使用している旋律が用いられている、とのこと)。その作品は、打楽器の活躍やエキゾティシズムに溢れる旋律など、まるで京劇を思わせるような、いわばわれわれが「中国」と耳にして思い浮かべる最大公約数的なイメージがそのまま投影されているといった趣。非常に効果的かつ派手でカラフルなオーケストレーションは、ある種の映画音楽かはたまたミュージカル音楽のようでもある。難しいことは抜きにして、MTTとSFSの「いかにもアメリカ的な属性」、つまり豊穣で肉厚、明快な弦楽器、ブリリアントな金管群の魅力をたっぷりと堪能できた(それはそれとして、楽曲後半に明らかにバルトークの『中国の不思議な役人』のクライマックスをヒントにしたと思われる箇所が出現。これは大半の人が聴いて分かるレヴェルであり、もちろん確信犯だが、まあ愉快ではある)。

派手に花火を打ち上げた後の2曲目はユジャ・ワンが登場してのショスタコーヴィチ。これは掛値なしの快演だ。ユジャの技巧と反射神経の冴えは普通のピアニストのそれではない。リズムを深く抉る箇所と軽やかに飛翔する箇所のコントラストの妙。どこをとっても一本調子にならないのだ。どんなパッセージにも表情と色がある。例えば第2楽章の沈滞と終楽章の疾走につぐ疾走、この表現の幅。これは天性のものとしか言いようがないが、対するオケも負けてはいない。マーク・イノウエのtpは的確な技巧と輝かしい音色を駆使しつつもトランペット協奏曲のようにしゃしゃり出ず、バランスを心得た吹奏ぶり。そしてMTTも出過ぎず引っ込み過ぎず、という的確なサポートぶり。じゃじゃ馬ユジャにぴったりと付けている。この呼吸は度重なる共演あってのものだろう。そしてユジャお約束のアンコール。1曲目はマーク・イノウエとの『2人でお茶を』。ジャズも能くするというマーク・イノウエは即興演奏風な速いパッセージを連発し、ユジャも合わせて華麗に装飾する。何とも粋な演奏である。2曲目はうって変わって『4羽の白鳥の踊り』。これはユジャ版とでも言うべきか、何とも派手派手しいアレンジである。ゲテモノ風味だが、これもまた楽し(余談だが、ユジャ独特の「腰に負担の掛かりそうな素早く角度の深いお辞儀」をオケのメンバーが一斉に真似したものだから会場中は大ウケである。こういうのを見るとアメリカは素敵だな、と思うのだった)

後半はマーラー。結論から言えば、彼らにしてはあまり冴えがない演奏と感じた。どうにも音像に締まりがなくミスも散見。合奏が緩んでいる。内的な緊張感に欠けるシーンも。4年前に聴かせてくれたあの鉄壁のコンビネーションはどこへ。恐らくアジアツアーのかなりの強行軍でさすがの彼らにも疲れが溜まっていたのだろう。誰が演奏しても楽曲の音響的クライマックスが終楽章コーダなのは言うまでもないが、このコーダの自在さと雄渾さはさすがに素晴らしかったものの、そこに至るまでの「小クライマックス」までも抑制し過ぎた感がある。期待が大きかっただけにいささか残念であった。しかし、MTTとSFSのコンビは今1番熟成しているのは疑う余地がなく(音楽監督就任は1995年なので今年で21年!)、再度彼らの万全のコンディションの時にその演奏―出来ればマーラー!―を聴きたいと思う。

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