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アール・レスピラン第31回定期演奏会|齋藤俊夫     

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2016111日 浜離宮朝日ホール
Reviewed by 齋藤俊夫
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
指揮:安良岡章夫
アール・レスピラン

<曲目>
J.S.バッハ:前奏曲とフーガ ト長調BWV541(松原勝也編曲、弦楽五重奏版)
中川俊郎:室内交響曲第2番―2つのスケルツォつき(第5回アール・レスピラン委嘱作品  2016年 世界初演)
G.グリゼイ:タレア(1985-86年)
鈴木輝昭:レスピラシオン~オーボエ、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ピアノのための(2016年 世界初演)
L.V.ベートーヴェン:ディアベルリのワルツの主題による33の変奏曲ハ長調 Op.120より(池田哲美・安良岡章夫編曲による室内管弦楽版)

アール・レスピラン結成30周年記念コンサートとあるが、J.S.バッハ、ベートーヴェン、グリゼイ、そして中川俊郎と鈴木輝昭という作曲家の名前だけでワクワクした。実に挑戦的。ならば聴く側としてもそれなりの意気込みが必要というものだろう。

まず最初に演奏されたJ.S.バッハBWV541の前奏曲の編曲が見事であった。それぞれの楽想を複数の楽器で目まぐるしく受け渡すことによって錯視的な効果をもたらし、舞台上で音楽が踊る。さながら万華鏡を回し見るがごとき聴覚体験であった。フーガは1声部1奏者で演奏されて前奏曲に比してわかりやすい音楽であったが、しかしバッハの対位法が鮮明に聴こえる良い編曲・演奏であった。

次いで鬼才・中川俊郎の室内交響曲第2番は実に中川らしい「ただものではない」奇曲であった。「交響曲」と銘打っているのに交響的な部分は一切ない。筆者の数えたところでは全8楽章からなっていたのだが、どの楽章も断片的な演奏だけで終わる。とくに短い楽章などオーボエのソロが少し吹かれたかと思うとトゥッティで「ジャン!」と奏されるだけの数秒間しかない。しかしこれが滅法面白いのである。次に何が起きるのか、聴衆だけでなく、もしかすると演奏者や指揮者にもわからない。そして何か起こっても、それが何だったのかわからないままなのだが、だがそこが良い。日頃、常識という束縛を受けている人間にとって、このような「わからなさ」は自由を感じさせ、「痛快」ですらある。稀有な体験をさせてもらった。

前半最後のグリゼイ作品は、前半は急速と緩徐、フォルテとピアノ、上行と下行が交互に奏されつつ、次第に書法が複雑になっていき、後半はピアノの最低音の轟音に始まり、他の楽器群(ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、フルート)もみな絡まり合うといった作品。前半の息もつかせぬ緊張感にあふれた音楽も良いものだったが、しかし後半に入って、いつの間にか、会場を満たす音にうっとりと聴き入ってしまった。さすがはスペクトル楽派の巨匠というべきか、音それ自体の響きが鋭くも美しく、また演奏も非常に優れたアンサンブルを聴かせてくれた。

後半に入っての鈴木輝昭作品、これもまた絶品であった。隙間なくぎっしりと書かれた音楽であり、各楽器が相互に独立した合奏をするのではなく、全楽器が全体で1つの楽器のように演奏され、聴きながら個々の楽器に耳の焦点を合わせることができない。ポリフォニックでもホモフォニックでもなく、言わばモノフォニックな室内楽作品だが、全楽器1丸となって重厚な響きを奏でるその迫力たるや!素晴らしく個性的な作品であった。

最後のディアベルリ変奏曲は編曲によりベートヴェン的な執念は薄まり、とても愛らしい室内楽となっていた。特に第24変奏の木管合奏の柔らかな響きが印象的であった。だが終曲前の第32変奏のフーガでは交響的とも呼べるスケールの大きな音楽が奏でられ、そして最後の第33変奏で大団円を迎えた。室内楽への編曲により古典的明朗さがより際立ち、ゆったりとしたとても贅沢な時間を過ごさせてもらった。

最初から最後まで実に若々しい結成30周年記念演奏会であった。願わくばこのようなチャレンジ精神をいつまでも失わずにさらなる音楽的高みに挑んでもらいたい。アール・レスピラン、まだまだ現代音楽の可能性を切り拓くことのできる集団である。

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