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Books|西洋音楽史再入門|小石かつら   

51vw96muq4l-_sx354_bo1204203200_西洋音楽史再入門:4つの視点で読み解く音楽と社会

村田千尋 著
春秋社 20167出版
2900円(税別)

text by 小石かつら( Katsura Koishi

音楽史というのは面白いと思う。これまでの「音楽史」は、時代やジャンルごとに輪切りにされたり、作曲家の功績に沿って書かれたりしてきた。そのような中にあって最近、歴史の流れを重視し、ストーリーとして記述する手法が音楽史にかかわらず歴史記述の流行だが、本書は、音楽史を異なる四つの視点から組み直して、さらにそれを、クロスさせ並行させて提示した。画期的だ。四つの切り口は、楽譜、楽器、人、社会である。こう書いているだけでわくわくする。

最近のインターネット記事では、ふと疑問に思う部分にハイパーリンクが仕込んであって、そこをクリックすれば関連項目へジャンプする。そのインターネットの手法を、一冊の書物の中で最大限に活用して、読者をいったりきたりさせる。ネット上だと果てしなく彷徨うことになりかねないが、本書の場合、とりあえずは本書の中のあちこちに「指を挟んで」読みすすむことになる。

たとえば第1章の「楽譜と音楽史」を読みはじめる。何度かクロスレファレンスの提示があり、その誘惑に飛ばされそうになりつつ我慢して(?!)読み進めたものの、中世キリスト教社会の楽譜の説明にあった「音部記号の誕生」の箇所で、ついにページをクロスして繰ることになった。というのも、「現在一般的なト音記号は19世紀になろうとするころから多く用いられるようになった。18世紀までは女性が歌うという場面が少なく、男性や少年合唱の音域を考えると、ハ音記号で十分だった。器楽の場合はやや早く、17世紀以降に高音を特色とするヴァイオリンやオーボエが活躍し始め、ト音記号が用いられるようになった」とあったからだ。

声楽曲と器楽曲で2世紀も違うのか?そしてここに、第1章の第5節、第2項および第3項を参照せよ、との指示。これは参照せねばならない。指示されたページを繰ると、「バロック音楽と楽譜」、「古典派音楽と楽譜」の項だった。なるほど、こちらできちんと説明されるのか、と思いつつ、こちらを読み始める。
バロック時代に最も人気があった器楽ジャンルは舞曲だ、と読み始めてものの4行で「古典組曲(舞曲組曲)」が気になる。ええい、と指示されるままページを繰る。
いつのまにかそれは第2章「楽器と音楽史」に入っている。指示されたのはバロック期の器楽音楽の中にあるオペラの節の「序曲」の項。「18世紀のオペラでは、歌手が技巧の限りを尽くすアリアに注目が集まり、器楽の役割は相対的に下がっていた。しかし、序曲だけは、オペラの上演を準備するものとして重要視されていたといえる。ただしその重要性は、現代において考えられているものと多少異なっていたようだ。」

こう書かれて、これを読みすすまずにおれようか?果たしてト音記号に戻れようか?「現代において考えられている序曲の重要性と多少異なる18世紀の序曲の重要性。」読者としての私の頭の中は「序曲」でいっぱいだ。そんな読者に著者はたたみこむ。「18世紀のオペラの序曲は『急(速い)、緩(ゆっくり)、急(速い)』の3部分で構成され、オペラの導入曲として欠くことのできないものだった。19世紀以降のオペラの序曲とは違って、オペラの内容とはあまりかかわりがなかった。たとえばロッシーニは序曲を使い回していた。では、18世紀のオペラ序曲とはいかなるものか。実は、オペラ上演の開始を知らせるベルの働きだったのだ。」と、ここまでは一般的な記述と著者の記述はほぼ同じだが、ここからがおもしろい。「最初の『急』の部分はロビーで歓談している観客に着席を促すためで、急いで欲しいが故に速いテンポ。中間部の『緩』は、多くの観客が席に着いた頃で、観客を落ち着かせるために遅いテンポ。最後の『急』は、観客の期待を高めるために速いテンポ。」

あくまで想像にすぎないと著者はことわる。けれども、著者のニヤニヤ顔が目に浮かび、こちらもニヤニヤだ。もちろん、そこにはまたもや次のジャンプ先が指示してある。こうして、楽しいたのしい西洋音楽史の深遠な世界を、数々の魅惑にそそのかされながら、行きつ戻りつすることになる。おもわず本書をおいて、序曲のCDやら楽譜やらに手を伸ばしてしまう。本当だろうか?もっと違う考え方はないだろうか?

音楽というモノはとらえがたいと思う。「音楽とは何か」と問われて、するすると答えられる人はいないだろう。ジャンルをどんどん狭めたところで、その答えにくさは、さして変わらない。そのとらえがたさに、本書は答えを出さない。それどころか、さまざまに範囲を狭めて見せて、次々と疑問を発射しまくる。これこそが、本書の最も素敵なところだと思う。音楽史の「試み」を提示することで、読者が「新たなる試み」を考え始める契機を提供する。著者自身も序において「多くの疑問も開いたままに留め、いわば思考の出発点としていただきたい」と述べているが、これは大成功している。「なるほど」と納得するのではなく、「なんで?」と思う。あたり前だと思っていたことが疑問に思えてくる。

最後に本書の使いやすさについてもひとこと。上記のようなクロスレファレンスはほとんど全ページにちりばめられている。そしてどのページにも一番下に「現住所」が明記されている。第何章の第何節を今読んでいるのか、いつでもわかる。さらに4つの章が国語辞典のように小口に爪かけされている。章、節、見出しの下には細かい小見出しもある。索引が充実しているだけでなく、「結:歴史と現代における音楽の意義」の章が、一種の索引の役を果たしている。そして豊富な譜例や写真や絵。本書はいろんな意味で本当に魅力的で、しばらく手放せないこと必至である。

なお、本書の紹介のために括弧に入れた文章は、本文の引用ではなく、筆者による本文の要約である。