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<歌曲(リート)の森> フェルッチョ・フルラネット|藤堂清 

%e3%83%95%e3%83%ab%e3%83%a9%e3%83%8d%e3%83%83%e3%83%88歌曲(リート)の森 ~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第20篇
フェルッチョ・フルラネット

2016年10月7日 トッパンホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
バス:フェルッチョ・フルラネット
ピアノ:イーゴリ・チェトゥーエフ

<曲目>
(第1部)
セルゲイ・ラフマニノフ
運命 ベートーヴェンの第5交響曲へ寄せて Op.21-1
夢 Op.8-5
リラの花 Op.21-5
穏やかな夜の静寂の中で Op.4-3
ここは素晴らしい Op.21-7
僕は彼女のところに居た Op.14-4
時は来たり! Op.14-12
いや、お願いだ、行かないでくれ Op.4-1
雪解け水 Op.14-11
———————–(第1部アンコール)———————
ラフマニノフ:歌劇《アレコ》より アレコのカヴァティーナ〈すべての天幕は寝静まった〉
——————————(休憩)————————-
(第2部)
モデスト・ムソルグスキー:
木の葉は悲しげにざわめいていた~音楽物語~
あなた達にとって愛の言葉とは何でしょう?
老人の歌
夜~幻想曲~
風が吹いている、荒々しい風が
歌曲集《死の歌と踊り》
トレパーク
子守唄
セレナード
司令官
————————(第2部アンコール)———————
ラフマニノフ:夜の静けさに Op.4-3
アントン・ルービンシュタイン:歌劇《デーモン》より デーモンの第3のアリア

すごいものを聴いた。
フェルッチョ・フルラネット、1949年生まれのイタリアのバス。トッパンホールという小さなホールということを考慮しても、声の密度やダイナミクスという点で比類がない。強声もただ大きいのではなく、包みこむような響きから威圧的な声まで多様に使い分けている。一方、ほんとに弱い声で歌っても、けっしてやせることなく会場中に伝わる。

最初の曲〈運命〉は、ベートーヴェンの交響曲第5番の出だし「運命はかくのごとく扉をたたく」をモティーフにした5節からなる長大な曲。ピアノによって弾き出されたモティーフは、各節の最後に、歌声で「トン、トン、トン」と繰り返される。同じ音形だが、歌詞とともに次第に緊迫感を増し、主人公を追い詰めていく。フルラネットは、節ごとに音量や長さを微妙に変え、その状況を歌いだした。
<リラの花>では花に仮託した甘い思いを静かに歌う。<ここは素晴らしい>の高揚感、<いや、お願いだ、行かないでくれ>での直裁な訴え。
バスという、通常であれば色彩感にとぼしい声域であるにもかかわらず、ラフマニノフの歌曲の持つ抒情性をそれぞれに歌い出していた。
第一部の後の聴衆の拍手も大きなものであったが、本人も気分が乗っていたのだろう、ここでアンコールが歌われた。低音域の圧力と高音域の輝きでアレコの苦悩が胸に迫る。

第二部はムソルグスキーの歌曲、ラフマニノフと較べるとゴツゴツした肌ざわり。<木の葉は悲しげにざわめいていた>や<夜>の声を抑えた中での表情の多彩なこと、<風が吹いている、荒々しい風が>の激しい歌。
圧巻は、歌曲集《死の歌と踊り》。死神が、農夫に、赤ん坊に、病気の娘に、戦場で死んだ多くの兵士に歌いかけ、死へと導く、時に穏やかに、時に威圧するように。<司令官>の最後で轟く声に、聴衆はひれ伏すしかなかった。

声の力だけでなく、言葉に対する配慮も十分に行われていて、息をつく間がない。密度の高い時間であった。イタリアの歌手の歌うロシア歌曲?どうなのだろう?そんな気持ちもあったのだが、フルラネットには無意味な心配であった。
イーゴリ・チェトゥーエフのピアノも、歌手の表情に寄り添い聞きごたえがあった。

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