マスネ『グリゼリディス』|佐伯ふみ   

%e3%82%b0%e3%83%aa%e3%81%9c%e3%83%aa%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%b9東京オペラ・プロデュース第98回定期公演
マスネ『リゼリディス』

2016年109 新国立劇場中劇場
Reviewed by 佐伯ふみ(Fumi Saeki
Photos by 長澤直子/写真提供:東京オペラ・プロデュース

〈台本〉アルマン・シルヴェストル&ウジェーヌ・モラン
〈作曲〉ジュール・マスネ
〈指揮〉飯坂純
〈管弦楽〉東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団
〈合唱〉東京オペラ・プロデュース合唱団
〈演出〉太田麻衣子
〈美術〉土屋茂昭
〈照明〉成瀬一裕
〈衣裳〉清水崇子

〈キャスト〉
菊地美奈(ソプラノ:グリゼリディス)
羽山晃生(バリトン:侯爵)
北川辰彦(バリトン:悪魔)
羽山弘子(ソプラノ:フィアミーナ)
上原正敏(テノール:アラン)

 

『マノン』でオペラ作曲家の名声を確立したジュール・マスネが、その数年後の1901年に発表した作品。東京オペラ・プロデュースでは、2012年の『エロディアード』に続くマスネの本邦初演作である。
『グリゼリディス』はほとんど知られていないがよくできた佳品で、歌劇場のレパートリーに残らなかったのが不思議。この上演では主役級の歌手たちがまた粒ぞろいの美声で、マスネのあの艶やかで甘い、しかし品格をそなえた独特の管弦楽とともに、忘れがたい印象を残した。

グリゼリディスとは、もともとは14世紀の『デカメロン』に収められた「貞淑な妻」の寓話に登場する女性。しかし2人組の劇作家シルヴェストルとモランは物語を換骨奪胎。グリゼリディスの夫がうっかり口にした言葉で悪魔が出現してしまい、彼女を翻弄するが、その悪魔がなんと恐妻家で、現れた妻にさんざんにやっつけられるといった、涙あり笑いありの荒唐無稽のエンターテインメントに仕立てあげてヒットさせた。その戯曲をマスネがオペラに翻案することを2人に依頼。初演の指揮はアンドレ・メサジェで、その後5年間で61回の続演があったそうだから、オペラになっても評判は上々だったのだろう。このあたりの詳細はプログラムの岸純信氏の解説がとても良い手引きになっている。

【プロローグ:14世紀のプロヴァンス地方】夕暮れの森に響く「狩のホルン」が美しい開幕。羊飼いアランが登場して、グリゼリディスに恋い焦がれる心情を歌う。アラン役・上原正敏は、侯爵に対比して粗野だが純朴、それだけにあふれる心情が胸を打つ青年を好演(第3幕でも再びインパクトある情熱的な歌唱を聴けた)。
侯爵(羽山晃生)が現れ、グリゼリディス(菊地美奈)を見初めて求婚。陰で見ているアランの目の前で、グリゼリディスは求婚を受け入れ、城へ向かう。

【第1幕:城内の祈祷室】侍女ベルトラード(辰巳真理恵)が、素朴な糸紡ぎの歌(短いが印象的)を口ずさんでいる。召使いゴンドボー(鹿野章人)がやってきて侯爵の出陣を告げ、続いて侯爵とともに現れた修道院長(和田ひでき)が、悪魔の誘惑で留守中に妻の貞節が失われるかもしれない、などと言う。侯爵は出陣のつらさを嘆くとともに、妻を信じる心情を力強く歌いあげるが、「たとえ悪魔が来ようとも」と口にしたとたん、悪魔(北川辰彦)が「私はここに!」と叫んで登場(このシーンの音楽、演出とも秀逸)。そんなに信じると言うなら賭をしようと持ちかける悪魔に、賭のかたとして結婚指輪を渡してしまう侯爵。
出発後、寂しくなった部屋でグリゼリディスが侍女ベルトラードに『ペネロープ』の朗読をさせる。珍しい趣向で、朗読の声と台詞、管弦楽との絡み合いが上手い。この幕では、開幕のシーンと、このシーンとが見事に呼応しあっていて、次の第2幕のブッフォ的な扱いとともに、マスネの歌劇作曲の引き出しの多さを思わされる。

【第2幕:城の前の庭】のどかな間奏曲にのって登場した悪魔が、“単身赴任”の生活は気ままでよいなどと歌い出す。なんと、恐妻家の悪魔なのである(羽山晃生の「ちょいワル」風の演唱が卓抜)。ところが調子よく歌っている最中に、当の妻フィアミーナ(羽山弘子)がこっそり現れて、悪魔をびっくり仰天させる。このあたりのコミカルなやりとりでは客席もおおいにのって笑いがもれていた。
2人は共謀してグリゼリディスを堕落させようと作戦を立て、商人と奴隷に変奏して彼女のもとへ行き、結婚指輪を見せて、侯爵はこのほどこの女奴隷を買って妻とすることにしたと告げる。ショックを受けながらも、神の御心ならば、と受け入れるグリゼリディス。肩すかしをくった悪魔は作戦を変更、アランを呼び寄せてグリゼリディスと再会させる。思いを激しく打ち明けるアランに動揺するグリゼリディスだが、息子ロイス(子役:尾上綾音)が現れて、我に返る。絶望して走り去るアランを一瞬グリゼリディスが追ったすきに、悪魔はロイスを連れ去る。
この第2幕は込み入っているが、台本も音楽も巧みで筋運びは明瞭、文句なく楽しめる。コメディアン&コメディエンヌの役回りの北川辰彦と羽山弘子が上手い。

【第3幕:城内の祈祷室】ロイスを失って悲嘆に暮れるグリゼリディス。悪魔が現れ、さらに彼女を追い詰める。第2幕後半からはグリゼリディスの見せ場で、息子を思う母、そして1人の女性としての揺れる心情を、菊地美奈が気品を保ったまま全身で好演している。悲壮な決意をしたグリゼリディスの前に、侯爵が帰還。悪魔の働きかけで猜疑心に支配されていた侯爵だが、妻と語り合ううちに信頼と愛情を取り戻し、夫婦ともに悪への怒りと、失った息子を取り戻すという強い意志が湧いてくる。このあたりは侯爵の羽山晃生の見せどころ。まるでワーグナーのような分厚い管弦楽にのった歌が心情を雄弁に語り、圧倒的な迫力。祈りの歌「おお、聖なる十字架よ」を3度並行で2人が歌い上げて頂点に達した瞬間、突然の雷鳴が響き、聖女アニエスがロイスを抱いて出現。幕となる。

現代の歌劇場のレパートリーに残念ながらなっていない、優れた作品の上演で、オペラの楽しみを拡げてくれる東京オペラ・プロデュース公演。予算の制約であろう、今回は合唱パートは録音での参加。しかし登場人物の心理ドラマを描く点ではかえってそれが奏功したとも言える。演出や衣裳も含めて、オペラ上演にもいろいろな形態があっていい。ぜひともこの活動を続けてほしい、と改めて思った。

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