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パリ・東京雑感|民主主義のもろさと天皇|松浦茂長

民主主義のもろさと天皇

text by松浦茂長( Shigenaga Matsuura)

天皇陛下が退位についてテレビで発言されたのにはびっくりしたが、振り返ってみると、ヨーロッパではちょっとした国王の退位ブームだ。2013年にベルギーのアルベール2世とオランダのベアトリクス女王。2014年にはスペインのフアン・カルロス1世が退位した。昔フランスでは国王が死ぬと「王は亡くなられた。国王万歳」と叫ぶことになっていた。つまり王というのは名前をもった個人であるより、死んだ瞬間つぎの王に取って代わられる肩書・役割だったのである。王の地位は神聖だから、死ぬまで務めるべきもので、<退位>と言う言葉には軽蔑的な響きがあった。それなのに、目立った落ち度もないのに、続々と王様が辞めるのはなぜだろう。王位は永遠といった神話は情報化の時代に通用しないし、王様自身もそんな窮屈な枠にとらわれたくない。王と言う肩書によって敬われるのでなく、私のやった仕事によって評価してほしい、人間として満足できる務めが果たせなくなったらやめたい、という気持ちだろう。

アンボワーズ城

アンボワーズ城

実際、20世紀の王様たちは、民主主義に大変な貢献をしているのだ。筆頭はスペインのフアン・カルロス国王。フランコの独裁政権から立憲君主制に移ったばかりのスペインで、1981年に軍が国会を占拠し、首相と議員を人質に取って王政復古を求めたとき、国王が断固拒否、テレビで国民に民主主義を守ろうと訴えたため、兵士が投降し、クーデターは失敗に終わった。この出来事でフアン・カルロス国王の人気は不動のものになり、共産党党首まで「私たちは皆王党派だ」と感動的な演説をしたという。

さかのぼってヒトラーがヨーロッパを荒らしまわった時代、オランダのウィルヘルミナ女王は、イギリスに亡命し、ロンドンからラジオで国民にナチへのレジスタンスを呼び掛けた。国難の時にはっきり連合国側につきドイツに対決した女王の決断は、戦後王室への信頼を大いに高めたと言われる。同じくナチに占領されたフランスは、ドゴール将軍がやはりロンドンからナチへの抵抗を訴えたが、ドゴール自身は「フランスが王政を廃止したのは残念。国王がいれば、ナチの占領に対する祖国の抵抗を体現できたのに。」とよく嘆いたそうだ。

シャンボール城

シャンボール城

ベルギーは小さな国土なのに、フランス語を話す地域とオランダ語を話す地域が犬猿の仲で、オランダ語圏の町に行ってうっかりフランス語で話しかけると露骨に嫌な顔をされるほどだ。フランスを襲ったテロリストがベルギーを根城にしていたのが分かったとき、フランスのメディアは「テロリストが野放しになっているのは、フランス語圏の警察とオランダ語圏の警察が情報を交換したがらないからだ」などと、国としてのまとまりのなさを批判した。言語対立は政治的対立の深刻さにもつながり、政党間の連立の話し合いがまとまらず、541日間政権の空白が続いた記録もある。事実上分裂した国に見えるのに、何とか一つの国として存続しているのは、政党間の争いを越えた国王がいるおかげらしい。つまり、王室は国家統合に必要な接着剤みたいなもので、本来なら共和国主義者のはずの左翼にとっても必要悪的存在なのだ。フランス語圏のある急進派政治家は「何のかんの言っても、オランダ語系から大統領が出るよりは、国王がいる方がまだしもだ」と王政擁護の本音を吐露している。

ベルギーに限らず、王様には強権によらずに国をまとめるアウラがあるようで、中東を見渡すと、シリアとリビアが解体し、イラクが混とんとした状況なのと対照的に、王国モロッコは落ち着いている。どうやら現代の王様は、ルイ14世のように「朕は国家なり」と絶対的権力をふるう専制君主のイメージとは程遠く、むしろ独裁的権力の登場や国家の分裂を防ぐ役割を果たしているように見える。

キルデベルト1世

キルデベルト1世

それにひきかえ、共和国の大統領は、国王という重しがないので、全能感に酔う誘惑が強いのだろう。たとえばトルコのエルドアン大統領。最初首相として穏健なイスラム政権を率いたころ、中東諸国のお手本と称えられたのに、教師、軍人、裁判官など10万人を首にしたり逮捕する独裁者に豹変した。ロシアのプーチン大統領のふるまいは、まさに「朕は国家なり」だ。なぜ国民を幸せにするまっとうな政治が出来ないのだろう。19世紀の英国の首相アクトン卿は「権力は人を狂気にする。絶対権力は人を絶対的狂気にする」と言ったそうだが、共和国大統領のポストには、狂気に誘う毒が仕込まれているに違いない。

ヨーロッパやアメリカには、大統領の暴走を防ぐ制度が組み込まれているからトルコやロシアのような独裁にはならないだろうが、ポピュリズムの危険は大きい。汚い言葉で馬鹿なことを言えば言うほど人気が出る。知性の否定が、特権階層への攻撃と受け取られて喝采される。嘘か本当かの検証は問題にされず、面白ければ何を言っても良い。ポピュリストの暴言は、未来への夢を描けない孤独な選挙民の喝さいを受けるのだ。選挙というのはしょせん人気の競争なのだから、先進民主主義国でポピュリストが勝つ危険は少なくない。民主主義には致命的な欠陥があるのだが、もし国王がいれば、その存在そのものによって民主主義を逸脱から守ってくれはしないだろうか。

フランスの政治学者ギ・ソルマンは「民主主義国家が幸運にも立憲君主を受け継いでいるなら、ぜひともそれを守り伝えることが大切だ。君主は、ふつう何もしない。存在するだけで十分。1981年マドリードのクーデターのようなぎりぎりの緊急事態が起こったら、金の帳のかなたから姿を現し、民主主義を救い、国家の統一を守り、必要なら専制への逸脱に対抗し、民主主義にひそむ危険を防ぐうえでかけがえのない存在であることを証明するのである。」と言う。

さて、こうやってヨーロッパの王室の姿を振り返ってみると、天皇陛下のふるまい、お考えが現代君主のあるべき姿にぴったり重なっていることに驚かされる。いざとなれば民主主義を逸脱から守り、国民の分裂を防ぐ君主のイメージだ。それにしても、テレビカメラの前でご自分の信念を告白するという乾坤一擲の行動に出られたのはなぜだろう。しかもその中に、憲法で決められた国事行為のわくにはまりきらない内容が盛り込まれている。「常に国民とともにある自覚を自らのうちに育てる」ため、全国を旅し、その地域を愛し、支える人々に触れることを通じ「国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸いなことでした」と回顧されたのに対し、地方訪問、さらには南の島まで慰霊の旅をするのは天皇が自発的に始めたことであり、老齢のためそれが難しくなったから退位するのは筋が通らない、憲法で決められた国事だけをやっていればよい、という批判も多い。

災害地を天皇ご夫妻が訪れると、被災者が美智子妃に抱きついて感謝を表す光景がみられる。国民に選挙で選ばれていない人間が、国民の敬愛を一身に受け、天皇でなければ気持ちがおさまらないという状況は民主主義のルールに反するではないか。いまの天皇に危険はないけれど、将来どんな天皇が現れるかわからないという不安が、そうした批判の背後にある。進歩的な学者の多くからは、平和主義、護憲につながる天皇の行動と発言は有難いが、憲法に抵触しかねない、というためらいの声が聞こえる。 「天皇には国事行為以外を行う<能力>を求めてはいけない、というのが憲法の立場だと解することもできます。にもかかわらず、現天皇は積極的に<象徴としての務め>の範囲を広げてきました。とくに先の大戦にまつわる<慰霊の旅>のように、<平成流>に好ましい効果があることはたしかです。しかしそれは、民主的な政治プロセスが果たすべき役割を天皇にアウトソーシングするものともいえます。」(西村裕一氏・憲法学者) でも、<民主的な政治プロセス>はとっくに破綻してしまったのでは?事態は<アウトソーシング>だけが救いというところまで来ているのでは?天皇の言葉遣いから日本の状況の深刻さを思い知らされたのは僕だけだろうか。