マハン・エスファハニ チェンバロ独奏演奏会|大河内文恵 

%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%95%e3%82%a1%e3%83%8b%e3%83%8fマハン・エスファハニ チェンバロ独奏演奏会

2016年9月16日 王子ホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
マハン・エスファハニ(チェンバロ)

<曲目>
ピーター・フィリップス:悲しみのパヴァン、ガリアード
ジャイルズ・ファーナビー:ファーマーのパヴァン
リチャード・ファーナビー:誰のでもないジーグ
J.S.バッハ:フランス組曲 第4番 変ホ長調 BWV815
J.S.バッハ:フランス組曲 第6番 ホ長調 BWV817

~休憩~

フランソワ・クープラン:クラヴサン組曲 第4巻 第24曲より
大殿様(荘重なサラバンド)/若殿様/運命の矢/がらくた/美しい人/移り気な人(パッサカリアの動き)
J.S.バッハ:フランス組曲 第5番 ト長調 BWV816
(アンコール)
ラモー:ガヴォットと変奏曲
クロフト:グラウンド
スカルラッティ:ソナタニ短調 K.120

「独特よねぇ」「ほんと独特よねぇ」。休憩中のロビーのそこここで、こんな会話が交わされていた。チェンバロのリサイタルとしては、それほど奇をてらったプログラムではない。では、どこが独特なのか。それを述べる前に、少しだけ昔話をすることをお許しいただきたい。

エスファハニが初来日したのは、2013年。その際に東京でのリサイタルを聴いた。ウィリアム・バード、バッハにリゲティという「本当にチェンバロのリサイタルなの?」というプログラミングもさることながら、彼の技巧の冴えに圧倒され、こんなにすごい演奏会なのに東京文化会館小ホールが空席だらけだったことにも衝撃を受けた。そのときの演奏は、チェンバロを弾くことが楽しくて嬉しくて仕方がないという気持ちがひりひりとこちらに伝わってくるものであった。

3年ぶりにステージにあらわれた彼は、いくらか貫禄がつき、落ち着いた印象になったと同時に、演奏にも変化がみられた。速く細かいパッセージが真珠を繋いだネックレスのような煌めきを放っているのは以前と変わらないが、勢いだけで突っ走るのではなく、1音1音の意味を吟味した上で弾いているのが伝わってくるのだ。フィリップスおよびG.ファーナビーの『パヴァン』では、当時のイギリス鍵盤音楽特有の複雑で不規則な和声変化が見られるが、エスファハニはそれらの音の動きをきっちり踏まえ、音楽の流れを不安定にすることなく、明確に変化を描いている。楽曲に真摯に向き合い、そこに書かれたことを過不足なく表現すべく計算し尽くされている証である。

弦をハンマーで叩くピアノと違って、弦を弾いて音を出すチェンバロは、ともすれば乾いた響きになりがちで、構造上、弦を弾く音が混じることは避けられないが、彼の演奏ではそれらが気にならないのはなぜか。フランス組曲『第4番』のアルマンドでは、音と音とが隣り合っているのではなく、ごくわずかずつ重なり合っていることによって、ピアノのペダルを使用しているかのような豊かな響きを実現している。音が濁るギリギリ手前で、すべての音をコントロールすることは並大抵ではない。

フランス組曲『第6番』のアルマンドで、左手のアーティキュレーションを工夫することによって、立体的な重なりが実現され、トリオ・ソナタのような趣を醸し出していたことからもわかるように、ピアノ学習者にとっては「子どもが平均律を始める前の練習のために弾くもの」として、練習曲扱いされがちなフランス組曲が、どれも見事に「大人の」組曲となっていたところに彼の演奏家としての矜持を感じた。

フランス組曲についてもう一つふれておかねばならないことがある。本日の演奏では、コンサート・ノーツにあるように、ベーレンライター版が使用された。これは、ピアノ学習者が一般に使用する実用版の楽譜ではなく、原典版(Urtext)が収められたものである。ここでは自筆を含む現存する43の手稿譜と、数々の初期出版譜といった原資料にみられる、異なる稿を検証した結果として、大きくA稿とB稿に分けられ、『第3番』と『第4番』にはヴァリアントが1つずつ掲載されており、別冊の校訂報告でその経緯が確認できるようになっている。

詳しい説明は省くが、(おそらくこれらすべてに目を通した上で)彼は、自筆譜に一番近い古いバージョンではなく、その後に派生した楽譜に基づいた(比較的)新しいバージョンによって、『第6番』を、プレリュードを最初に置いた形で、『第4番』もヴァリアントのプレリュードと第2ガヴォットを付け加えた形で演奏した。バッハの時代には、現代の我々が思うほど「作品」というのは固定化されたものではなく、演奏する機会に合わせて変更するのは何ら特別なことではなかったということを考えると、彼の本日の演奏は、ある意味、オリジナルに立ち返ったものであったと言えるかもしれない。少なくとも、固定化された作品という存在に対する問題提起にはなっていただろう。

アンコールでは、熱烈な拍手に応えて3曲が演奏された。後半の最初に演奏されたクープラン(フランスの伝統というよりは現代的な演奏だった)に呼応する形でのラモー、前半のイギリスものを補遺するクラフト、そして最後にはジャケットを脱いで、ハイスピードな手の交差がおこなわれる超絶技巧のスカルラッティのソナタ。リゲティを弾かずとも、充分刺激的な演奏会で、終演後のサイン会には長い長い行列が伸びていた。今回多くのファンを魅了した彼が、次はどんな手で現れるのか、楽しみでしかたがない。

追記)次のリサイタルでは、使用楽器をプログラム・ノートに記載していただきたい。

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