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サマーフェスティバル2016 ザ・プロデューサー・シリーズ 佐藤紀雄がひらく 単独者たちの王国 めぐりあう声|大河内文恵

summerfes2016 のコピーサントリー芸術財団 サマーフェスティバル2016 ザ・プロデューサー・シリーズ 佐藤紀雄がひらく 単独者たちの王国 めぐりあう声

2016年8月22日 サントリーホール ブルーローズ
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
写真提供:サントリー芸術財団

<演奏>
佐藤紀雄(指揮)
甲斐史子(ヴィオラ)
メレ=ボイントン(メゾ・ソプラノ)
波多野睦美(メゾ・ソプラノ)
肖瑪(カウンター・テナー)
森山開次(ダンス)
アンサンブル・ノマド

<曲目>
エベルト・バスケス:デジャルダン/デ・プレ(2013)[日本初演]
~休憩~
ジャック・ボディ:死と願望の歌とダンス(2012/2016)[改訂版世界初演] 編曲:クリス・ゲンドール、フィル・ブラウンリー
(アンコール)
ジャック・ボディ :『レイン・フォレスト』から「子どもの遊び」

サントリー芸術財団サマーフェスティバルのザ・プロデューサー・シリーズは、4年目。作曲家、プロデューサー、音楽学者とここまできて、初めての演奏家によるプロデュース。その初回の公演を聴いた。日本初演と改訂版世界初演が並ぶプログラムは、曲目を見ただけで興味をそそられるものであった。

どちらの曲もここ数年以内に初演されているので、どんな最先端の音楽が聴けるのかと期待していたら、『デジャルダン/デ・プレ』は意外と普通。見たことも聞いたこともない特殊奏法が繰り出されるわけでも、あっと驚く構造が隠れているわけでもない。タイトルには表れていないが、実質的には2楽章構成のヴィオラ協奏曲である。これのどこが最新なのだ?と訝しく思いながら聴いていて、はたと気づいた。

「新しい音楽とは、何らかの最新の要素を含んでいて、明らかに最新だとわかるような音楽でなければならない」という考え方そのものが古いのではないかと。そう思って聴いてみると、たしかに「新しい」のだ。まず際立つのは、音楽の緻密さである。前衛音楽にありがちな、ものすごいことをやっているのに妙にダレる瞬間というのが、一瞬たりともない。使われる特殊奏法が、「標準装備」の範囲内にとどまっているにもかかわらず、である。

第2楽章では、ルネサンスの巨匠ジョスカン・デ・プレのシャンソンの旋律が使われている。それが違和感なくバスケスの音楽に融け込んでいるだけでなく、ジョスカンの旋律に新しい文脈を与えて再生させているかのように聴こえたのは不思議な感覚であった。現代に再生(ルネサンス)させるために、敢えてルネサンスの巨匠を選んだのかと深読みしたくなるくらいであった。

後半にはさらに思いがけない世界が待っていた。ボディの音楽は『カルメン』の有名な旋律をモチーフにしつつ、そこに聴き慣れた伴奏ではなく、完全に別の音楽を伴に演奏させ、それが曲を追うごとに「いつもの」カルメンになっていく。ほかに民族的な音楽が加わるが、これも決して前衛的ではない。この作品の中心構造となっているのは歌手たちである。マオリ語で歌うボイントンは、冒頭で客席の扉から登場したときから圧倒的な存在感を放っていた。それは声量だけでなく、彼女の声のもつ独特のオーラによるものであろう。おもに『カルメン』の部分を担当したカウンター・テナーの肖瑪もメゾ・ソプラノの波多野もそれぞれの曲の世界観を、彼らの声によって余すところなく表現していた。さらに、彼らがこれだけ存分に歌うことができたのは、アンサンブル・ノマドががっちり支えていたからだということも忘れてはならない。

この作品のうち、音楽と同じくらいの比重を占めるのはダンスである。森山はT字の舞台を時には飛び降りて客席の中を走り回りつつ、音楽を補ってあまりある濃密さで空間を塗りつぶしていった。それは振付けの濃密さというだけでなく、衣装が赤、紺、黒、色とりどりのカラフルなものと登場する度ごとに変わっていくことで、ボイントンの真っ赤なドレス、波多野の紺のドレス、肖瑪の黒の衣装にそれぞれ意味があったことが、後から明かされるという、意味の多重性の濃密さも兼ね備えていた。このような多重構造は、カルメンの役を男性であるカウンター・テナーに歌わせること、森山が女装したダンサーであり、最後の最後には女性性を捨てて1ダンサーになるといったジェンダーの取り扱いはもちろん、作品全体の至るところに張り巡らされており、それは何気なく見たり聞いたりしていたものが実は重要な意味をもつという現実世界の多層構造を、秀逸な方法で拡張してみせているように思えた。プログラム・ノートに「“女性らしくない”内容の詩を女性の喉を通して歌う」とあったが、女性歌手の歌はマオリ語とスペイン語だったため、意味を聞き取ることができず、それを味わうことができなかったのは残念であった。字幕とは言わないまでも、歌詞対訳が配布されていればと惜しまれる。

アンコールでは、森山が数人の子どもたちの手を引いて登場し、ボディの<子どもの遊び>が演奏された。本物の子どもの声による演奏は、この曲の魅力が独特のリズムとフレーズの繰り返しによる高揚感だけでないことを示しており、既成の何かに新たな文脈を与え続けた本日の演奏会を締めくくるにふさわしい終わりかたであった。

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