フィラデルフィア管弦楽団|大河内文恵

フィラデルフィアフィラデルフィア管弦楽団

2016年6月5日 サントリーホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>

フィラデルフィア管弦楽団
五嶋龍(ヴァイオリン)
ヤニック・ネゼ=セガン(指揮)

<曲目>

J.シュトラウスII: ワルツ「ウイーンの森の物語」
プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 op.19
~休憩~
ブラームス: 交響曲第2番 ニ長調 op.73
(アンコール)
J.S.バッハ(ストコフスキー編):「羊は安らかに草を食み」
(カンタータ「楽しき狩こそ我が喜び」BWV208より)

オーケストラの力量は最初の一音が鳴った瞬間に立ち現われる。フィラデルフィア管弦楽団がまさにそうだったように。<フィラデルフィア・サウンド>と呼ばれる音がどんな音響なのか事前の知識ゼロで臨んだにもかかわらず、「これだ!」とわかった。弦セクションの揃いかたが尋常でない。フィギュアスケートのアイスダンスカップルのステップのように、入り方から動く角度やスピード、何から何までぴったり合っている。さながらぴかぴかのシルクで頬を撫でられているような心地よさ。ここに管楽器や打楽器の絢爛豪華な響きが加わるのだから、向かうところ敵なしである。

プロコフィエフの『ヴァイオリン協奏曲第1番』は、五嶋のヴァイオリンを堪能する時間だった。1楽章の冒頭の哀愁を帯びた美しいヴァイオリンの旋律、3楽章のリズミカルながらもリリカルなメロディーは、いずれも五嶋自身が本当にこの曲を愛しているのだということを如実にあらわす演奏だった。2楽章では、特殊奏法を散りばめながら縦横無尽に駆け回り、余裕をもって楽しんでいる様子が聴き手の心を躍らせた。その一方で、2楽章の終結部や3楽章の終わりのような独奏ヴァイオリンの音色の聴かせどころでは、オーケストラとの協働を優先し、ソリストとしてというより、オーケストラの一員として音楽を最もよい形に仕上げようとしていたように聴こえた。プロコフィエフの協奏曲の魅力を余すところなく提示したこの演奏は、メンデルスゾーンやチャイコフスキーといった定番のヴァイオリン協奏曲ではないところにも名曲は存在するのだということを証明してみせたといえよう。

さて、最後のブラームス。前半の2曲だけですでにもう元は取れたようなものだが、さらに新たな展開をみせた。曲が始まると、なにか違和感を覚えた。軽過ぎるのだ。ブラームスの交響曲をこんなにサクサク演奏してしまっていいのか。旧来のブラームス好きだったら、ここはこう来るだろうと予想する箇所がほとんどスルーされてしまう。さらに3楽章からはありえないスピードで進んでいく。あれよあれよという間に4楽章。これまたすごいスピードだが、今度は押さえるべき勘所をきちんと拾っていく。曲が終わったときには、あろうことか感動で震えがきた。何なのだ、これは。

思えば、1曲めのワルツも、ドイツやオーストリアのオーケストラなら絶対やらないような軽快さを持ちつつも、要所要所にウィーン風のワルツリズムを差しはさむ絶妙な演奏だった。

昔風のどっしりした演奏ではなく、現代のスピード感に合わせたとき、その曲が過去に数多く演奏された曲であればあるほど、そのイメージを抱えたままの聴き手には違和感を感じさせる。もちろん、新しいイメージをすんなり受け入れられる聴き手もいる。演奏に唯一絶対的な正解などないとするならば、どこに正解を求めたらよいのか、そもそも正解を求めること自体が間違っているのか、いい演奏って何だろう。そんなことをぐるぐると考えていたら、アンコールが始まった。

フィラデルフィア管の基礎をつくりあげたストコフスキーの編曲によるバッハのカンタータからの1曲は、しみじみといい演奏だった。さきほどぐるぐる考えていたことが、どうでもよくなった。してやられた。

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