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パリ・東京雑感|憂いのアパルトマン 半年ぶりにパリに戻れば|松浦茂長

憂いのアパルトマン  半年ぶりにパリに戻れば

text & photos by松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

4月末、半年ぶりにパリに来た。雨戸が閉めっぱなしなのにかび臭くもならず、ほこりも気にならない。去年、日本に帰るとき干しておいたシャツやパジャマがきのうの洗濯物のようにぶら下がっていて、半年前の日常にすぐつながってしまう。毎年のことだが、東京とパリの2つの日常が簡単に入れ替わる感覚は奇妙でもありスリリングでもある。 いつもはジルがミルク、ジャム、バターなど朝食の材料を冷蔵庫に入れておいてくれるのだが、今年はアルデシュで仕事があるから空港出迎えもできないと言ってきた。彼がいないのを知ってるはずはないのに、なぜか今年は5階の医者アニーが「ワインと食べるものを用意してあげる」とメールしてきた。(彼女にはカギを預けてある)。冷蔵庫を開けると、ミルク、バター、チーズ、レタス、トマト、オレンジがあるし、パンは冷凍室に入っていた。パリに着いたら祝杯をあげろというつもりだろうか、ボルドーが置いてあったが、彼女のくれるワインは途方もない高級品だから(金持ちの患者のプレゼント?)別の機会に取っておこう。
食卓にはいつものように花があった。渋い中間色はジルの趣味だ。アルデシュに発つ前に寄ったのだろう。いつもと違って、台所の窓の外にかわいい小花の鉢植えが3つあった。強い原色はアニーの好みだ。

今年の懸案は寝室の壁紙と風呂場のペンキだ。おととしの冬、寝室が臭いのに気付き、壁紙をはがしてみるとべっとり黒いかびで全面おおわれていた。上の階で排水管にひびが入り我が家の風呂場の天井と寝室の壁をべとべとにしたのである。それからが大変だった。漏水個所を探り出すまでにたっぷり2か月。何といっても上の階の隣人の風呂場のタイルを壊さなければならないので、山勘で工事に取り掛かるわけにはゆかない。上の階の風呂に色のついた水をたっぷり入れて流し、我が家の寝室の壁に色がつくか試したり、排水管の圧力をはかったり、隣人が納得するまで時間をかけた。それから工事まで1か月。保険会社の査定が5月にあり、夏前にやっとペンキ屋が来たけれど、まだ十分乾燥してないから作業できないと診断を下しただけで、その年はタイムリミットになってしまった。
今年は寝室も匂わなくなったし、懸案を片付けなければと早速ペンキ屋を呼んだ。ところが何たること!風呂場の天井が去年より湿っているからペンキは塗れないという。新たな水漏れに違いない。我が家は1932年建築。パリの建物としてはごく新しい方だが、排水管はあちこちで漏れ始めた。1932年の床板は、どんなにそっと歩いてもギシギシ大きな音を立てるし、ドアは歪んで閉まらない。陶製ドアノブが割れれば専門店で同じのを探さなければならない。でもパリっ子が水漏れと闘い、不便を忍び古い建物にこだわるのにはそれだけの理由がある。心が安らぐのだ。
古い家はなぜ気分が良いのだろう。天井が高くてせいせいするから?隙間だらけの床板の木目が本物だから?設計者の意図を尊重し、膨大な時間と手間を費やして原型を守ってきた代々の住人の執念が部屋にしみこんでいるから?
理由は良くわからないけれど、古い家に住むと安心できる。僕もはじめ4年間1970年代のアパルトマンに住んだが、いま思い出すと頭を押さえつけられるような圧迫感があり、精神の安定に悪かったような気がする。今住んでいる古い公共住宅の住人が落語の長屋みたいに人情に厚いのにくらべ、前のアパルトマンの住人はちょっとそっけなく、意地悪な隣人もいた。
古い住宅には人を優しくする感化力があるのか、あるいはこんな不便な建物に魅力を感じる住人はお人よしで、効率を気にしない似た者同士が集まるから仲が良いのか、年代物の家に住むメリットを哲学したくなるのもパリならではだ。

さて上の階のテオドレスクさんが会社に行く前にドアを叩くと、髪はほつれ疲れた顔で現れた。「母が亡くなり、きのうの夜遅く国から戻ったところ。また今夜戻らなければならないの。」と言う。故郷はルーマニアである。ようやく涙がこぼれるのを抑えて出てきた女性に向かって水漏れごときで騒ぐのは卑しい気がしたが、今夜から留守となれば、そうも言っておれない。二人であちこち探り、漏水の原因らしき配管を見つけた。おととし彼女の風呂場のタイルを壊して排水管を取り換えたばかりなのに、今度は台所のタイルを壊すことになりそうだ。「風呂場のタイルは白だったからよかったけれど、台所の色タイルは予備がないわ」と憂鬱な表情。僕も気が重い。

ディジョンの「モーゼの井戸」

ディジョンの「モーゼの井戸」

不幸は上の階だけではない。この春のわがアパルトマンはどうかしている。不幸の2人目はお隣の女性弁護士スーザン。僕らがパリに来た翌日、イギリス人のお父さんが「娘が入院しました。見舞ってやってください」と頼みに来たのである。彼女はうつ病で2年前に入院したばかりなのに、また同じサンタンヌ病院に入ったという。1651年創設の世界に名だたる精神病院だ。広大な敷地は刑務所のような高い陰気な塀で囲まれていて、お見舞いも最初は緊張する。でも病室はシャワー付きの広々した個室で、食事はレストラン並みとスーザンはほめていた。最初の週は医師が1時間半ずつ週3回診察してくれたそうだ。窓からはパリ市内とは信じられないような広い、風情のある庭が眺められた。
庭がきれいなのはサンタンヌ病院だけではない。きっと「心を病んだ人たちには美しい庭と美しい建物が必要だ」と、昔の精神科医が主張したのだろう、地方に行くと観光名所の元修道院が精神病院になっていることが少なくない。
ディジョンにはミシュランのガイドで★★の『モーゼの井戸』という彫刻があるが、これは精神病院の広大な庭の一番奥に隠れている。おまけに入り口には「精神病院」の看板しかないから、『モーゼの井戸』を尋ねあてるには予備知識と忍耐が必要だ。僕は4回目のディジョン訪問でやっとたどり着いた。

クラウス・スリューテル作「モーゼの井戸」

クラウス・スリューテル作「モーゼの井戸」

不幸の3人目は下の階のシリア人。スーパーに行く途中ばったり出会い「奥さんの具合は?」と聞くと、「あと2〜3か月の命だ。肝臓も肺もがんが転移した。カトリック信者だから、覚悟はできている」と言う。5年前からがんの治療を受け、深夜鋭い叫び声で起こされたことが何度かあったが、今度パリに来てから、下の部屋はシーンとして、雨戸の閉まったままの日も多く、気になっていたところだった。「もう彼女は私のアパルトマンでは暮らせないよ。彼女も自分のアパルトマンを持っているから、私がそこに寝泊まりして看病している。夜中に食事を作ったり…。私も医療事故のせいで30分以上立っていられない体だから、世話をするのは難しい。それでもなんとか切り抜けられるのを、神様に感謝しなければ。以前、私が倒れたとき、彼女は私を捨てた。それでこのアパルトマンに一人で入ったのだよ。でもそのあと彼女ががんになったとき、私は見捨てなかった。私たちのモラルと宗教はそんなことを許さない。」
イスラムの倫理の高さを掲げることで、崩れそうになる自分の心と体を支えようとしているのだろう。アラブの春に夢を託したのに、アサド大統領が自国民を虐殺し、イスラム国が支配地を広げ、挙句の果てロシア軍が無差別の空爆をした。逃げる力のあるシリア人は難民になって出て行ってしまった。彼が大学に通った古都アレッポは廃墟と化した。彼は祖国を失い、恐らく祖国復興の希望すら失い、妻を失おうとしているのだ。
数日後、市場で彼に出合ったら「いま妻は入院しているから、自分の家に戻ったよ。お見舞いにイチゴを買ったところだ。一つ食べてみて。」と差し出された。去年に比べて、表情に少し落ち着きが出てきたような気がする。ひところは、シリアのことで夜も眠れなかったのだろう、深夜歩き回ったり、アラビア語で議論したりする音が聞こえ、昼に見かけると疲れて不安な表情だった。今も顔に刻まれた苦悶のしわはそのままだが、あのころの急き立てられるような不安はみられない。
悲しみもまた、われらのアパルトマンの隣同士の心を一層近づけてくれるに違いない。

ため息の出るプレモントレの精神病院(元修道院)

ため息の出るプレモントレの精神病院(元修道院)