五線紙のパンセ|よどみつ ながれつ その3)|中村寛

よどみつ ながれつ その3)

text by 中村寛 ( Hiroshi Nakamura)

土手に登ると眼下に広がる広大な湿地帯。若草山の山焼きのように、ここ渡良瀬遊水池でも春先になると一面に生い茂った葦を焼く。あちらこちらから火の手が上がり、凄まじい炎が天空を焦がすさまは壮観だが、突然の猛火に棲家を追われ、なす術もなく虚空を舞う鳥たちに眼差しを向ける人はいない。ここがそもそもどういう場所なのか、気に留める人などいないからだ。
6はるか日光連山から流れくる渡良瀬川が、谷川岳の奔流を下りくる利根川と合わさる辺りに横たわる巨大な沈殿池。ここは、その渡良瀬川を流れ下る足尾銅山の鉱毒がそのまま東京を直撃する代わりに、ここで淀み沈められて、その贖罪を100年後の今も担わされ続けている場所なのだ。普段は家族連れの遊ぶ空間が、この日だけはその本来の姿を取り戻し、我々が日々犯し続けている罪を、忘却の淵から火焔を吹き上げながら告発するのだ。それはそのまま100年後の福島原発の姿ではないか。
一見、首都圏近郊に残された大自然の姿、野鳥たちの楽園。まるで、かつて縄文時代に海と葦原だった東京が、再びこの世に現れたかのようだ。しかしその足元には二度とひとの住めない土地。私達にはその上澄みしか見えていない。そうした見たいものしか見ない精神構造が、復興とか絆とか、日々紋切型の夢や希望を語っては、見えないもの、ひとの目には留まらない、癒えることのない傷を「なきもの」として踏みつけにしてゆくのだ。

モスクワ争乱事件の折、オーストリア放送のラジオ番組からルイジ・ノーノの『プロメテオ』⁽¹⁾が流れてきた。「かつてあったもの達の大気の気配… 今や沈黙してしまった声の木魂…」⁽²⁾と口ずさむコーラス。『縛られたプロメテウス』にも登場するイオ、ゼウスの身勝手な愛欲から牛に変えられ、妻ヘラの嫉妬がよこした虻に追われ、この世をさすらう受難者ー空間を止めどなく静かに漂う音だけが想起させる、居場所なきものたちの悲しみ。凍てつくヴィーンの一室に、業の連鎖と響き合う嘆きが木魂する。モスクワで政争の生贄にされた者達の声なき声と、その響きが二重写しとなって、それまでよくはわからなかったその響き、たゆたう音が担っている悲劇が、こころの裡に沈殿してきた。 後年、イタリアのストレーザ音楽祭で芸術監督のジャナンドレア・ノセダが初演してくれた『Song of Samsara』は、そうしたこころの声をかき消して、炸裂する響きが何度も回帰する音楽だった。ひとの織りなす業の連鎖、深い闇。その楽譜の出版社の紹介で、ヴェネツィアのノーノ・アーカイヴにヌーリア・ノーノ夫人を訪ねた。彼がその創作で大切にしたというスピリチュアリティについて夫人が語るのを聞き、所蔵されていた『プロメテオ』のスケッチの中に一枚の写真を見た;ギリシャ神殿の廃墟の虚空に、彼の筆跡で「ascolta 聴け」の文字… 失われたもの、忘れ去られたもの、存在の澱のようなものが、通奏低音のように私の裡を貫いていた。そしてその底知れぬ闇の中に私もまた降りていったのだった…

Song-of-Samsara-イタリア・ストレーザ音楽祭ノセダ指揮音楽祭管弦楽団

Song-of-Samsara-イタリア・ストレーザ音楽祭
ノセダ指揮音楽祭管弦楽団

病室では、深夜にストレチャーで運ばれていったままそれっきりのひとがいた。そんな修羅場は決まって私の付き添わない時間に襲ってきた。後でいくら聞いたところで、本当のところは知るよしもなかった。何の変哲もないその日、病院からの電話で連れ合いの聞き慣れた声が、自身の癌を告げていた…
親子のにぎやかな声が響き渡る保育園の運動会。もし私がこの世にいなくなっても、いつもここには彼らの変わらぬ声がある。突然、奇妙な甘美さと切なさが入り交じった感覚に襲われ、世界の一切は目の前から遠ざかっていった。なぜ私ではなく彼女なのか? <これ>が私の呼ばれた先なのか? 音は私の裡から消えていた。『サクリファイス』の、あの祈りをする自分がいた…

癌というのは、その本性をなかなか表に見せようとしない病だ。見た目どこが病気なのか全然わからない。だから、もしかしたらあのひともそうかも知れない、このひともそうかも知れない、そして実際そうだった。日常にあって目の前にある他者、いのちはあって当たり前と思っていた私。だが、かつて縄文人は知っていた筈だ、自然と共にあったそのひとたちは<いのちというものが常に生と死の狭間にあるということ>を。 なぜ私たちに今があるのか、本当のところはよくわからない。病気そのものは医師の施術に託す以外、なす術がなかった。私達にはただ、目の前のことに眼差しを向ける以外、生きる術もなかった。しかし、それこそが生きていること、そのものだった。明日どうなるかわからない。だが現に今、生きている。いのちには<今あること>以上のどんな価値があるというのか?
あって当たり前のいのち、そんなものはなかった。あって当たり前、だからかけがえがない、そうではなかった。明日はもうないかも知れない、もしかしたら元々なかったのかも知れない、だから今あることにかけがえがない、それが<畏れ>の感覚だった。紛争、飢餓、災害… そんな思いでいるひとは、今も無数にいる、恐らくは未来も。病者もまたそれを知るひとだった。『冬の旅』のさすらう者の傷みに、今まで一体自分は何を聞いていたのか?
「新しい」ではない、失った世界に代わって、今までとは全く違う世界が私の前に立ち現れてきた。

東京文化会館で三善先生に拙作の、日本音楽コンクールの講評を伺った時、「自分は近頃、この世界の片隅に、それでも少しはいてもいいのかなと思えるようになった」とおっしゃっていた。思えばその曲を想ったのも、道路工事でひっくり返され、それでもけなげに雑草が花をつける道端、そんな、ひとが見向きもしないような場所だった。その花は美しかった。そしてこの世を思った;「天の窓は開かれて、殆んど汚れた姿を見せたのだ、大地のはらわたは/あまたの言葉で言いくるめ、かくして瓦礫を転げ回されたのだ、この時に至るまで」(ヘルダーリン『身近なもの』)。私もまた、そこに繁茂する路傍の草だった。いつ引き抜かれ、刈られてもおかしくはなかった。そうでなかったのは、思うに生かされてきたからだった、共にいてくれたひと、そして出逢いに。
そう思った時、私の出来る唯一のこと、今なすべきこと、今しか出来ないと思ったことは、その今の自分を音で綴ることだった。過去の自分が走馬灯のように現れては崩れ去ってゆく。でも今がある。奇しくも震災直下、同じように傷を抱えた多くのひと達と共にあって、ひとり創作ー創(きず)を負いながら作るーという供犠を執り行う自分がいた。半年後、グレゴリオ聖歌の聖金曜日の調べ『Tenebrae factae sunt』(闇となって)⁽³⁾がタイトルの作品、フィンランド・ セイナヨキ市管弦楽団の、立ち会うことが出来なかったその曲の初演を、未明の自室でフィンランド放送のウェブラジオに聞き、会場の聴衆から賞を貰ったと告げられた時、聞くということが、お互いを知らずとも、時空を超え、共にいてくれるという行為であることを知って、居室でひとり泣いた。
この世に奇跡が起こるのではない。この世にいること、そのものが奇跡なのだ。

Tenebrae factae sunt フィンランド・セイナヨキ市管弦楽団

Tenebrae factae sunt フィンランド・セイナヨキ市管弦楽団

『サクリファイス』の冒頭、主人公は一本の枯れ木を突き立てながら呟く;「時々、自分に言い聞かせる。毎日欠かさずに 正確に同じ時刻に 同じ一つの事を儀式のように きちんと同じ順序で 毎日変わることなく行っていれば、世界はいつか変わる…見事だろう、日本の生け花のようだ」。主人公が救急車で運ばれた後、ひとりその木に水をやりつづける唖の息子。そして呟く;「<初めにことばがあった>なぜなのパパ?」。善悪の知識の木から実を取り、ついには命の木まで枯らせてしまった我々、フクシマという取り返しのつかない過ちにわたしたちがせめて出来ることは、それぞれの場で、嗤われても嘲られても枯れ木に水をやり続けることではないだろうか? 祈りとは、そうやって共にあり続けることのように思えてならない。
フェニックスは一度死に、浄化され、もう一度再生するものの謂いだ。それが渡良瀬遊水池の葦が焼かれ続ける意味なのだ。再生への祈りを込めて、その謂われが歴史の彼方に消えてなくなるまで

(註)

1:1984年、ヴェネツィアで初演。私が聞いたのは1993年のザルツブルク音楽祭で公演されたものの放送だった。
2:「過去はある秘められた索引を伴っていて、それは過去に救済の道を指示しているのだ。触れてはいないだろうか、我々自身に大気の気配が、かつてあったもの達の周囲の? ないだろうか、我々が耳を傾ける声の中に、今や沈黙してしまったものの木魂が?」(ベンヤミン『歴史の概念について』)
3:「闇となって/十字架に架けた時 イエスをユダヤ人たちが/そして3時頃 叫ばれた イエスは大声で/わが神、なぜ わたしをお見捨になったのですか?/そしてこうべを垂れて、息を引き取られた/叫ばれて イエスは大声で言われた/父よ、御手にゆだねます わたしのいのちを」

このコラムを、若くして亡くなったヴィーンのアーティストGerda Peerと、昨年末急逝したルポライターのInes Riederに捧げます。前者は同世代の最初の芸術仲間として、彼女が果たせなかったその人生に。後者はジェンダープロブレムの論者として、マイノリティへのまなざしを若き日の私に培ってくれた友に;https://www.youtube.com/watch?v=zfaMFiED1JA

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中村 寛(Hiroshi Nakamura)
1965年滋賀県生まれ。タラゴーナ市作曲賞(スペイン)、カジミェシュ・セロツキ作曲賞(ポーランド)、ストレーザ音楽週間作曲賞(イタリア)、ISCM「World Music Days」フェスティヴァル入選(スロヴェニア、スウェーデン)、日本音楽コンクール作曲部門第1位、東京文化会館舞台創造フェスティヴァル最優秀作品賞、日本交響楽振興財団作曲賞最上位入賞・日本財団特別奨励賞、芥川作曲賞ノミネートなど。2011年セイナヨキ作曲賞・聴衆賞(フィンランド)、受賞作はCD化予定(http://www.skor.fi/)。多田栄一氏、三善晃氏等に個人的に作曲を師事。