カデンツァ|オバマの広島と林光『原爆小景』|丘山万里子

オバマの広島と林光『原爆小景』

text by 丘山万里子(Mariko Okayama)

41GT220Z82L「水ヲ下サイ アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ 死ンダハウガ
アア タスケテ タスケテ
水ヲ 水ヲ
ドウカ ドナタカ」
原民喜の詩をテキストとした林光(1931~2012)の合唱曲『原爆小景』の第1部<水ヲ下サイ>はこう歌い始める。

2016年5月27日、オバマ大統領が広島の平和記念公園を訪れ、原爆資料館に立ち寄り、慰霊碑に献花、黙祷ののち、スピーチを行った。
ノーベル平和賞受賞につながったオバマのプラハ演説『核なき世界』(2009年)から2期にわたる在任を締めくくるにふさわしい内容であったと思う(核のボタンを携えて、との批判があるが、そうであっても、いやそれが現実だからこそ、「理想」は語られるべきと私は思う)。
核の脅威にさらされている今日の世界状況の中で、「核兵器を使用したことのある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任があります。」と核なき世界を目指すことへの責任を自ら宣言したプラハ演説。
これに触発され、ファッション・デザイナー三宅一生が ニューヨーク・タイムズに寄稿した『閃光の記憶』には、それまで「原爆を経験したデザイナーと安易にくくられてしまうことを避けようと」した三宅が初めて語る被曝体験と未来への祈りが静かに綴られている。
「オバマ大統領が、広島の平和大橋(彫刻家イサム・ノグチが自身の東西のきずなへの証しとして、さらに人類が憎しみから行ったことを忘れないための証しとして、デザインした橋)を渡る時、それは核の脅威のない世界への、現実的でシンボリックな第一歩となることでしょう。そこから踏み出されるすべての歩みが、世界平和への着実な一歩となっていくと信じています。」(The New York Times 2009年7/14付)

イサム・ノグチ制作/平和大橋『つくる』<br />(もう一つの橋は『行く』)1951~52

イサム・ノグチ デザイン/平和大橋『つくる』
(もう一つの橋は『行く』)1951~52

その日が、来た。
なぜ、オバマは広島に来たか。
「愛する人のことを考えるため」「すべての人の減らすことのできない価値。すべての命は尊いという主張。私たちはたった一つの人類の一員なのだという根本的で欠かせない考え。これらが、私たち全員が伝えていかなければならない物語なのです。」
「世界はここで、永遠に変わってしまいました。しかし今日、この街の子どもたちは平和に暮らしています。なんて尊いことでしょうか。それは守り、すべての子どもたちに与える価値のあるものです。それは私たちが選ぶことのできる未来です。広島と長崎が“核戦争の夜明け”ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのです。」(朝日新聞5/28付)
人類の道徳的目覚めへの促しとしての広島、長崎。
オバマの第一歩が、三宅が言うように、未来の世界平和へとなることを私もまた願う。

「8月6日の朝の記憶を薄れさせてはならない」とオバマは言ったが、林光の『原爆小景』は、1980年から毎年、東京混声合唱団の《八月のまつり》で歌われ続けている。
第1部が書かれたのは1958年、林が27歳の時。続編の第2部<日ノ暮レチカク>、第3部<夜>はそれから13年後の1971年。さらに最後の<永遠(とわ)のみどり>は2001年で、林は69歳になっている。
原のテキストとの出会いを林はこう語る。
「1951年の初夏だった、と思う。新橋駅ちかくの書店で、出版されたばかりの『原民喜詩集』を手に入れた。詩人の死からいくらも経っていなかった。一読、巻中の〔原爆小景〕に打たれた。どのようにでも取り乱して書くことができるであろう、惨劇への怒りと悲しみの心がこのように端正に、詩の踏むべき根本を歩み、純度を保って書くことができるのか。これらの詩には音楽が必要だと、そのとき思ったが、20歳になるやならずのぼくはその手だてを持たなかった。」(〔舳先の下で―「『原爆小景』に寄せて」被団協新聞2012/3, No374〕)
実に半世紀、林は原の言葉と向き合い続けたのだ。
「水ヲクダサイ」という声は、あくまで静かにこだまし、<日ノ暮レチカク>はトーン・クラスター的な表現主義的手法が用いられ、声の軋みあいが緊迫した空気を生み出す。<夜>は「コレガ人間ナノデス」「原子爆弾ニヨル変化ヲゴラン下サイ」といった言葉、ナレーションが合唱の声の帯とその伸縮の波間から顔を出す。いつまでも耳底に残る「オ母サン、オカアサン」の呼び声。それから30年後の<永遠(とわ)のみどり>は、だが、これら3曲とは異なる、優しさと光に満ちた祈りで、その初演、私はただじっと胸に手をあて、タクトを振る林の背を凝視め続けていたのだった。
ここに、その歌詞をあげておく。

第4曲 永遠(とわ)のみどり

「ヒロシマのデルタに 若葉うづまけ
死と焔の記憶に よき祈よ こもれ
とはのみどりを とはのみどりを
ヒロシマのデルタに 青葉したたれ」

林は80年に開始された《八月のまつり》の第1回のプログラムに、こう記している。少し長いが引用させていただく。(『音楽のつくりかた〜林光 仕事日記』晶文社より)

「広場に1本の柱を立てれば充分だ。
人びとはすぐさまそのまわりにあつまって まつりがはじまる
と昔の人、ルソーだったかロマン・ロラン
だったかは言ったはずだ
だが私たちは知っている
1本の柱でまつりなんぞはじまらない
それどころか 私たちは私たちの街の広場に柱1本立てることさえ許されない
それをあえてした 海峡ひとつへだてた都市の人びとがどんな目にあわされたか 私たちは知っている
にせの祭りは 人びとを憎しみにかりたてる
体操競技でいままさに満点の演技を終えようとする瞬間の 一八才の少女に <おっこっちまえ>と野次をとばすところまで
にせの祭りは人びとの心をすさませる
こんな世界はがまんならない
だから私たちは ちいさくともほんとうの祭りをするために あつまった
それは私たち日本人が この地球上の人間が 先祖のために まだ生まれない人びとのために 生命(いのち)をかけて祭りつづけなくてはならない祭りだ
ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ(原民喜)
作曲できるはずのないこの詩句が作曲されうたわれる日まで
祭りはつづく
鎮魂でなくあえて祭りと名のったこのつどいに参加してくださった皆さんに感謝し
一年後の再会を心から祈ります」
(註:海峡ひとつへだてた都市とは、韓国の光州事件。体操競技の少女はルーマニアのコマネチ。このモスクワオリンピックを日本はボイコットしている)

《八月のまつり》は、続いている。
東京混声合唱団・演奏会
オバマが広島を訪れた今年で第37回を迎える。
林光メモリアル東混・八月のまつり37
林の祈りを、まつりを、未来の世界平和へと、私たちはつないでゆかねばならない。

私は広島には2度行ったが、原爆資料館で見た、焦げ、ひしゃげた「弁当箱」は目に焼き付いている。オバマがそれを見たかどうか。
慰霊碑に刻まれる「過ちは繰り返しませぬから」という文言を、私はドイツのダッハウ強制収容所でも見た。
人間は「過ち」を繰り返す。戦禍は今も、いたるところに、ある。
それでも、オバマの一歩が、毎年の《八月のまつり》が、未来を少しでも明るくする灯火であるよう、私たち、それぞれの場所で、自分のできることをやってゆきたい。