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紀尾井シンフォニエッタ東京 第104回定期演奏会|佐伯ふみ

紀尾井ピノック紀尾井シンフォニエッタ東京 第104回定期演奏会
時を継ぐ名曲新しい響きを求めて
フォーレ、ベートーヴェン、ハイドン
――時空を超えるピノックの世界

2016年4月22日 紀尾井ホール
Reviewed by 佐伯ふみ(Fumi Saeki)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
トレヴァー・ピノック(指揮)
イモジェン・クーパー(ピアノ)
紀尾井シンフォニエッタ東京(管弦楽)

<曲目>
フォーレ:組曲「マスクとベルガマスク」Op.112
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調Op.58
ハイドン:交響曲第103番変ホ長調Hob.I-103「太鼓連打」

 

チェンバロ奏者であり、古楽オーケストラ《イングリッシュ・コンサート》の創立者として長らく革新的な活動を続けてきたトレヴァー・ピノック。2003年に《イングリッシュ・コンサート》を離れてから、フリーの指揮者として各地の管弦楽団に客演、紀尾井シンフォニエッタ東京とも、昨年の楽団創立20周年記念公演のバッハ『ミサ曲ロ短調』など、最近とみに意欲的な共演をしている。今回は「重要で革新的な」ベートーヴェンとハイドン、そして「20世紀初頭の視点でみた18世紀の音楽を体現した」フォーレ、という曲目(プログラムに掲載されたピノック本人のコメント)。

今年で70歳を迎えるピノックだが、変わらぬダンディな出で立ち、きびきびとした挙措。ムダのない指揮棒の動きから紡ぎだされる音楽は、彼の佇まいをそのまま表すかのようだ。細部まで配慮の行き届いた明快な、それでいて、人なつこく温もりのある響き。そんなピノックの音楽作りをよく心得て、紀尾井シンフォニエッタ東京が自然に、伸びやかな演奏を聞かせた。

開幕のフォーレは意外な選曲だったが、管弦楽と指揮がぴたりと呼吸を合わせ、洗練された、実に品の良い音楽を実現していた。最後のアンコールではシューベルトの『ロザムンデ』第3幕間奏曲が演奏されたのだが、開幕のこのフォーレを思い起こさせる演奏で、その見事な照応関係に改めて感動したものである。

ベートーヴェンの『第4協奏曲』では、イモジェン・クーパーのソロが強い印象を残した。クーパー自身がこの曲に対し、確固とした音楽のイメージをもっていることがよく伝わってくる演奏で、ピアノだけに注目してみれば、たくさんの創意工夫が盛り込まれて面白く、「聞かせる演奏」ではある。しかし受け手にまわったピノック&管弦楽との呼吸は今ひとつ。特に第1楽章では、ピアノ・ソロにオケが加わっていく部分でタイミングが合わず、スムーズに流れない箇所が一度ならずあった。
一見、しっかりとテンポを保持して合わせやすいピアノに聞こえるのだが… なぜだろう?と注意深く聴き入ってみると、細かい部分で小刻みに音楽を揺らしている。ルバートというよりも、自在に伸び縮みする融通無碍のテンポというべきか。クーパーのソロだけを聴いていると、決して作為的とか不自然だとは感じないのだが、それに呼吸を合わせて合流しようとすると、とたんに難しさを感じる。
第1楽章冒頭のピアノ・ソロでは、敢えて弱音のままであの有名なフレーズを聞かせたり、第2楽章のソロではことさらに起伏を抑えた音楽づくりをしたり(このあたりは「作りすぎ」の一歩手前という感じ)。ピアノの音そのものも、華やかな色艶とかテンペラメントとは少々方向性が違う。 要するに、現代の我々がコンチェルトに対して思い描く紋切り型のイメージ、「大管弦楽にピアニストが敢然と対峙する祝祭的な音楽」を見事に打ち砕く演奏であった。

最後のハイドンは、きびきびとした音の運び、人なつこいユーモアなど、ピノックの音楽性が見事にはまって、文句なしに楽しめる演奏。特に第2楽章は、各変奏がなんと色彩豊かな情感にあふれていたか。ティンパニの近藤高顯、オーボエの広田智之をはじめとする管楽器群、コントラバスの池松宏など、熟練の名手が音楽を引き締める。コンサートマスター・玉井菜採がソロを取る変奏では、テンポが少々速くなり、オケが合わせにくい様子を見せていた。出だしから遅めのテンポを取り、音の細かい造作を丁寧に聞かせたハイドンだったが、ここだけ、いつもの慣習的なテンポが顔を出したようだ。ご愛敬というところ。しかし総じて、オケのメンバーそれぞれが生き生きと本領を発揮し、実に新鮮なハイドンを聞かせてくれて、心地よい一夜だった。

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