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モイツァ・エルトマン|藤堂清

16モイツァ・エルトマン表面差し替えモイツァ・エルトマン・ソプラノ・リサイタル

2016年4月22日 王子ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)撮影:4/20東京文化会館 都民劇場公演

<演奏>
モイツァ・エルトマン(ソプラノ)
マルコム・マルティノー(ピアノ)

<曲目>
R.シュトラウス:8つの歌(『最後の花びら』より)より「もの言わぬ花」Op.10-6
モーツァルト:「すみれ」K.476
R.シュトラウス:6つの歌より「花束を編みたかった」Op.68-2
シューベルト:「野ばら」0p.3-3, D257
R.シュトラウス:8つの歌(『最後の花びら』より)より「サフラン」Op.10-7
シューマン:6つの詩より「重苦しい夕べ」Op.90-6
R.シュトラウス:6つの歌より [第1部]『オフィーリアの歌』
「愛するひとをいかに見分けよというのか」Op.67-1
「おはよう、今日は聖ヴァレンタインの日」Op.67-2
「女はむき出しで棺にのせられ」Op.67-3
リーム:『オフィーリアは歌う』
——————-(休憩)——————–
ライマン:ハインリッヒ・ハイネの4つの詩による連作歌曲『オレア』第2曲「ヘレナ」
R.シュトラウス:8つの歌(『最後の花びら』より)より「夜」Op.10-3
シューマン:6つの詩より追加「レクイエム」Op.90bis
R.シュトラウス:8つの歌(『最後の花びら』より)より「万霊節」Op.10-8
シューベルト:「万霊節の日のための連祷」D.343
R.シュトラウス:5つの歌より「私の漂う」Op.48-2
メンデルスゾーン:6つの歌より「歌の翼に」Op.34-2
R.シュトラウス:5つの小さな歌より「星」Op.69-1
ライマン:ハインリッヒ・ハイネの4つの詩による連作歌曲『オレア』第4曲「かしこい星たち」
—————–(アンコール)——————
モーツァルト:「夕べの想い」K523
R.シュトラウス:「明日の朝」Op.27-4

モイツァ・エルトマンは1975年生まれのドイツのソプラノ、2012年、2014年に続く三度目の来日となる。今回のリサイタルのプログラム、以前のよく知られた名曲を並べたのとは異なり、彼女が聴衆に伝えようとするものが選曲と配置から伝わってくる。
美しい花、花に対比される乙女、その愛ゆえの死、死者への祈り、星となった者たち、そういったストーリー性。R.シュトラウスの作品によって構成の中核をつくり、その間に他の作曲家の作品をはさみ、変化に富んだものとしている。

これまで聴いた彼女の歌は高音域のみが際立ち、それも頭声の響きに頼っているため音色の変化に乏しく、歌曲として聴くと単調という印象があった。音程はしっかりしているし、声量の点でも問題はないのだが。美貌ということもあって評判となっているのだろうかと、海外での評価と私の印象の落差にとまどいをおぼえていた。

この日の彼女は今までとは違っていた。弱いと感じていた中低音域がしっかりし、高音域とのつながりも自然になった。これにより母音の響きが多彩になり、一つ一つの言葉が活きてくる。「野ばら」の”Röslein, Röslein, Röslein rot,”という同じ言葉を音高を変えてくりかえしていくところでも、響きがコントロールされ、自然に続いていく。

前半の中で聴きごたえがあったのは、二人の作曲家による『オフィーリアの歌』。R.シュトラウスとヴォルフガング・リームが同じ三つのシェイクスピアの詩に作曲したものだが、前者はドイツ語訳を、後者は原詩の英語を用いている。シュトラウスの曲は、低音から高音へのジャンプ、急なテンポの変化など、歌い手に高度な技巧を要求するもの。オフィーリアへの感情移入を拒絶し、演奏が困難な歌を、エルトマンはそう感じさせずに音にしていく。リームの曲は現代的な響きやピアニストによる合いの手といった変化はあるものの、シュトラウスの人工的な作り物と較べると、よほど素朴な印象を受ける。同じことを歌っているのだが、乙女への共感を引き出してくれる。

後半は、リームと並ぶ現代ドイツ歌曲の作曲家アリベルト・ライマンの連作歌曲『オレア』からの二曲で挟まれている。この曲は無伴奏で、声だけで勝負することになる。ハイネの詩への付曲とはいうものの、ヴォーカリーズがかなりの部分を占めている。音程のコントロールができなければ挑戦できない曲だろう。低音域の充実がここでもはっきり聴き取れた。

どんな演奏家にも技術的な弱点はある。彼女はそれを認識し、克服すべく努力している。完全ではないかもしれないが、進歩していることは分かった。プログラミングに示された音楽的な能力とあわせ、今後の彼女の活動を注視していきたい。

最後になったが、名手マルコム・マルティノーのピアノも歌手にぴったり寄り添い、実に見事。自己主張や即興性があるわけではないが、まったく危なげがない。

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