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Back Stage|ワレリー・ゲルギエフ&マリインスキー・オペラ

ワレリー・ゲルギエフの「覚悟」

text by 寺沢光子(Mitsuko Terasawa)

ジャパン・アーツは、オペラやバレエ、オーケストラ、ソリストを海外から招聘し各地で公演を行うとともに、多くの所属アーティストのマネージメント業務に携わっています。
国内外の演奏家と接している中で感じること、それは「覚悟」の深さがアーティストの深化に通ずる、ということです。アーティストとて人間ですから、いろいろな波があります。ブレない何かがあったとしても、興味も、健康状態も、周囲の人々との関係性も変わることもあるでしょう。それぞれの生を生き、日々の生活を営む中で、ピタっとアーティストの照準が定まる時、それは相当の「覚悟」に裏打ちされたものである、まさに飛翔の時だと思います。
「覚悟」にはいろいろな形があります。徹底的に一人の作曲家に向き合うこと、テーマに沿ってプロジェクトを行うこと、アーティストが描く”庭”で精神の自由を愉しむことさえも、「覚悟」がなくてはできないこと。そしてその「覚悟」を突きつけられた時、私たちもひるまず、「覚悟」を持ってそのアーティストと向き合うことができる、そんなマネージャー集団であり、音楽事務所でありたいと思っています。

Conductor Valery Gergiev

Conductor Valery Gergiev

「覚悟」という言葉で思い浮かべるのは、やはりワレリー・ゲルギエフ氏です。
射すくめられてしまいそうなギョロリとした眼。
ボソボソと、しかし熱のある言葉を伝える低い声。
そして何よりも”カリスマ”そのものの存在感。

親しみやすく、気さくなアーティストが増えていますが、圧倒的な威厳を備え、強く明確に自分の意志を貫こうとする姿勢は、やはり特別です。ピットにいても、客席で聴いているだけでも、独特の緊張感とパワーを醸し出すマエストロ。

あれは6年ほど前、サンクトペテルブルグに取材に行った時のことでした。
終演後、楽屋前に駆けつけると、そこはすでに世界各地から集まった面会客で長蛇の列。マエストロは何人かと握手を交わした後、大急ぎで歩き始めました。何としてでもコメントが欲しかった私はそのままマエストロを追いかけてリハーサル室に。そこにはマリインスキー劇場のアカデミーで学ぶ若手歌手たちが20名ほど集められていました。
マエストロは部屋に着くなり、立ったままあの鋭い目でジーッと歌手たちの顔を見ていきます。そしていきなり目を留めた歌手に「あなたは今、何を歌っているのか?」と尋ねるのです。返事や、歌手によっては、フムとうなずくだけで終わる人もいますが、
「その曲は誰に歌うように言われたのか?」
「自分で決めたのか。少し(声質に対して作品が)重すぎるのではないか?焦ってはいけない。」
「その曲は、以前聞いた時と変わっていないのではないか?」
など矢継ぎ早に指摘していくこともあり、空気は緊迫の度合いを増していきます。
答えに窮し、マエストロの質問が次の人に行ってしまったテノールの目には涙が。反対に「次のツアーに参加するように」と言われ輝いたソプラノの顔は忘れられません。
「私はここ3ヶ月間、舞台で歌っていません。練習は怠らずしていますが、それを舞台で発揮できていないのです。」と訴えた歌手に、その場で3日後の出演を伝えた時。ゲルギエフと歌手との間に火花が散りました。
「やってみるか?」「やってみせる!」そんな強い期待と、それに向かう気持ちがぶつかりあった瞬間。こんな風にして多くの歌手たちが「覚悟」というものを知り、固め、深めていく。「覚悟」が、世界に歩みを進めていくステップ台になるのだと感じた瞬間でした。
極めつけは、その場にいた音楽マネージャーが歌手を紹介した時のこと。ゲルギエフ氏は「では明日の10:00に劇場に来るように」と言い、足早にその場を去って行きました。次の瞬間、歌手はゴクリと唾をのみ、聴いてもらうアリアをマネージャーに伝えるとホテルに帰っていきました。劇場スタッフはリハーサル室とピアニストを確保するため関係各所に電話。外はまだ明るい白夜の季節、午前2:00の出来事でした。

Don Carlo (C)N.Razina

Don Carlo (C)N.Razina

『炎の天使』『戦争と平和』『ニーベルングの指環』『ランスへの旅』『トロイアの人々』など来日のたびに大きな話題を巻き起こす【ワレリー・ゲルギエフ&マリインスキー・オペラ】

今回の日本公演では、『ドン・カルロ』と『エフゲニー・オネーギン』を上演すると聞いて、いささか普通すぎる、と感じるかもしれません。しかし、各地で共演を重ねる“究極のフィリッポ2世”フルラネットと、今まさに世界で活躍する“カルロ歌い”ヨンフン・リーを迎える『ドン・カルロ』は、他の主要4役をマリインスキー劇場で「覚悟」を育み、羽ばたき出した歌手たちの真価を、「覚悟」の深さを問う上演になることでしょう。

Eugene Onegin Maria Bayankina Yekaterina Sergeyeva (C)V.Baranovsky

Eugene Onegin
Maria Bayankina Yekaterina Sergeyeva
(C)V.Baranovsky

そして、マエストロが幼少の頃から諳んじ、心の奥底に流れていたというプーシキンの詩による『エフゲニー・オネーギン』は、若き「覚悟」の日々を支え、「覚悟」定まらぬ日々を慰めてきた作品なのではないでしょうか。

【ワレリー・ゲルギエフ&マリインスキー・オペラ】日本公演。その真髄をお届けするものにしよう、と我々も「覚悟」という熱きものを、胸にたぎらせています。

寺沢光子(株式会社ジャパン・アーツ広報宣伝部)
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公演情報
【マリインスキー・オペラ】
「ドン・カルロ」「エフゲニー・オネーギン」
2016年10月10日~10月16日 東京文化会館