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五線紙のパンセ|よどみつながれつ その1)|中村寛

よどみつながれつ その1)

text by 中村寛(Hiroshi Nakamura)

巨大なビル群がひしめき合い、スカイツリーの威容が天を突く東京都心、5-6000年前、ここは広大な海だった。現在、その周辺に茫洋たるベットタウンが広がる丘陵地には、かつて1万年以上もの長きにわたって争うことなく、悠久の時を自然の懐に抱かれて海の幸、山の幸に生き、やがてその裡へと還っていった驚くべきひとたちの痕跡が今も至る所に眠っている。貝塚、住居趾… しかも用途も意図も推測の域を出ない、いずれも奇妙なものばかりだ。
201603101120000201603101119000例えばこの異様な土器*)。表面と裏面に、それぞれ異なった顔のようなものが造形されている。信州伊那の同時期の、祭祀を思わせる遺構から忽然と姿を現したものだ。とても日用品とは言い難い、髑髏大の物体に穿たれた妊婦の腹、あるいは異形の眼差しとも見紛う穴。闇の中、たゆたう焰に浮かび上がったであろう影が生き霊のように妖しくうごめき、この摩訶不思議な造形にいのちを吹き込む。

昔、ギリシャの人々は、世界の根源は水や火と言った。火によってひとは暖を取り、食や技を豊かにし、文明を産み出した。土器の制作も火あってのものだ。艶かしい手触りの裡に自在に形を変え、火に燻され硬化する土とは、まるで運命に翻弄されてたゆたういのち、そのもののようだ。

自然は、時に豊かな恵みといのちを与えたと思えば、時にその牙を剝いて非情な死をもたらし、生き物を翻弄する。万物は流転すると言った人もいた。焰が紡ぎ出した、彼岸、此岸が溶け合ったようなこの神秘の姿は、いのちというものが常に生と死の狭間にあるということをいつも私に思い起こさせてくれる。

すでに四半世紀前、ベルリンの壁が崩れ冷戦終結に湧いた喧噪は、程なくボスニアから逃れて来る難民**)となって、自曲の録音で滞在していたヴィーンに毎日のように押し寄せていた。東欧のオケを格安で雇って元米国軍人が制作するCDに、「社会派の音楽、許さんぞソ連、キューバ、中国…」のような紋切型が自曲の解説に踊るさまに辟易して、地の底に埋められたような気分でいた。アムステルダムのガウデアムス財団***)で知り合った若い演奏家たちに怪しげな曲を書いては、あちこちに出没していた頃だ。

特段の資格も持たずにヴィーンに滞在していた私は、所管の警察で怪訝そうな顔をされ、怒鳴られては唇を噛んでいた。ドイツ語学校に通って、クラスにいたクロアチア女性が「国のことは話したくない」と呟くのを聞き、居室の隣にはヴィーン大学10年生というクルド人がいた。ウクライナの乳製品は避けろという人もいた。チェルノブイリの健康被害が言われ始めた頃だ。オーストリア国境の向こう側では日々、人々が駆られ、傷つき、殺されていた。

シリア難民、パリ、ブリュッセルのテロ、そしてフクシマ… 何も変わっていない。

茶の間のテレビで見たベトナム戦争の記憶がまだ生々しい1970年代後半、オイルショック後の日本が中流幻想に浸っていた頃、「いい大学へ行っていい会社に就職して」が合言葉で、世の中はただひたすら消費、その裏で学校が荒れ、子供のイジメ、暴力、自殺が日常茶飯事の思春期を送っていた私には、ある日、FM放送から流れてきたクラシック音楽は、それこそ摩訶不思議な魔法の世界だった。ロマン・ロランが描くベートーヴェンに神を見て、みすず書房の全集を貪るように読んではロラン夫人に稚拙な手紙を書いたりしていた。それは胃に穴が開くような日々に対するせめてもの夢だ。

しかし、ベートーヴェンを産み出した社会で私が実際に見たのは、川向こうに違う言葉を話す人達がいるところで共にあるという感覚、他者=自分とは違う存在への眼差しが失われた時、そのことがもたらすあまりに凄まじい現実だった。 これが、人々が長年待ち望んできた冷戦終結の姿なのか? 奇しくもロシアで軍が議会を制圧している銃声****)を、底冷えするヴィーンの居室でラジオに聞いて、気が変になりそうだった。

かつて土器にいのちを刻んだ火は、今やひとを焼き尽くす業火となって、その焰をあちこちで上げていた。しかもその時、私には本当は何も見えていなかったのだ…

縁あって登ったスイス・ピラトゥス山の頂で、そんな業火を音で想った。『プルガトリオ』と名付けたその曲に賞を貰って、バルセロナ交響楽団がリハーサルをするカタルーニャ音楽堂へと急いだ。

作曲家と指揮者しか知らない曲の全体像を、大理石から彫像を削り出すように、最初はおずおずと、やがて滔々とオケが繰り出してゆく。プレイヤーの一人ひとりが自らのパートを全うする裡に、徐々に互いの間にある自分、他者への眼差し、そのかけがえのなさに目覚めてゆく。 縒り、束ね、離れ、また奔流となって音が織りなす世界は、無明の闇に浮きつ沈みつしながら離合集散を繰り返す人の世。炸裂するパッセージに仲間の奏者たちが驚喜する中、アンサンブル、音に生きる者なら知っている嗅覚に火が付く。

3生きることはいつだって過酷だ。だがこの音楽家たちの、それでもひとと向き合うこと、共に相和することを善しとする熱気、ノリ… 私はいっぺんに信じてしまった。

古代ローマの遺構がそびえるオープンエアの本番、街の喧噪が遥かにこだまする真夏の夜空にオケが咆哮する。それはまさに一期一会。歴史、文化、社会、そしてひと、様々な「今ここに」が交感する瞬間だ。今あることにかけがえのなさを感じ、互いの違いをこそ信頼し、共にする時間、そして共にあることを信じること。それが「聞く」ということなのだ。

そのサウンドは、かつてフランコ政権下、カザルスが「カタルーニャの鳥はpeace、peaceと鳴く」と訴え続け、民族のアイデンティティが奪われていた時代に、往年の名指揮者たちをヨーロッパ中から客演に迎えて磨きをかけることでその誇りを引き受けて来たのだと、音楽堂の展示で読んだ。時代の猛火に曝され、アウシュヴィッツに象徴される無数の死がその痕跡すら焼き尽してしまう時代に、「熟れた、火をくぐり、煮つめられた/その果実は そして地で試され そして掟があって/全ては入りゆくのだ、蛇のように/予言のように、まどろみつつ/天の丘を」(フリードリヒ・ヘルダーリン『ムネモシュネー』最終稿)、そんな火に燻されて、音楽がどのようにひとの想いを煮つめてきたのかを痛感した瞬間だった。

うたは息であり、息はまさにいのちだ。かつて満天の星空の下、不思議な土器を掲げて、今あることへの畏れを共に祈ったひとびとにも通じる想いが、その時のわたしたちには確かにあった…

言葉は言霊(ことだま)とも言う。歌うこと、語ること、形にすること、それはいのちを想うことであり、祈りである。見たいものを見る、聴きたいものを聴くではなく、見えてくるものを見る、聞こえてくるものを聞く。その時そこにわたしたちは、できごとの連鎖ではない、時空を超えて伏流水のように流れるいのちの軌跡を見て取ることが出来る。「過去を歴史的に明瞭とすることは、それを<そもそもあったように>知ることではない。危機の瞬間にひらめくような想いを我がものとすることを言うのだ」(ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』)

我々の知らない、知る由もないひとたち。かつて1万年以上もの間、平和裏に営まれていたその暮らしは、何故か忽然と姿を消す。替わって現れたのは、富を巡る際限のない欲と殺戮の時代だった 。自然を征服し蕩尽する暮らしを持って後からやって来た我々の足元には、失われたひとたちが、その想いを様々な形に留めてまどろんでいるのだ

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(註)
*)顔面付釣手形土器。伊那市創造館蔵
**)ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992−95年)
***)オランダの現代音楽振興組織。2011年、ユトレヒトでリニューアル
* ***)1993年10月、ロシア議会をエリツィン大統領が武力制圧した事件

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中村 寛( Hiroshi Nakamura)

1965年滋賀県生まれ。タラゴーナ市作曲賞(スペイン)、カジミェシュ・セロツキ作曲賞(ポーランド)、ストレーザ音楽週間作曲賞(イタリア)、ISCM「World Music Days」フェスティヴァル入選(スロヴェニア、スウェーデン)、日本音楽コンクール作曲部門第1位、東京文化会館舞台創造フェスティヴァル最優秀作品賞、日本交響楽振興財団作曲賞最上位入賞・日本財団特別奨励賞、芥川作曲賞ノミネートなど。2011年セイナヨキ作曲賞・聴衆賞(フィンランド)、受賞作はCD化予定(http://www.skor.fi/)。多田栄一氏、三善晃氏等に個人的に作曲を師事。

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編集部:註
このコーナーは作曲家お一人につき3回の連載形式となります。