注目の1枚|ショスタコーヴィチ:交響曲第7番 ハ長調 作品60『レニングラード』|藤原聡

ジャケットショスタコーヴィチ:交響曲第7番 ハ長調 作品60『レニングラード』
大阪フィルハーモニー交響楽団
指揮:井上道義

text by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)

録音:2015年11月27日、28日 大阪・フェスティバルホールでのライヴ
商品番号:OVCL-00586
レーベル:エクストン(オクタヴィア・レコード)
価格:3,000円+税

最近の―より正確には2010年代から、さらに言うならば病を得た2014年辺りから一層―井上道義の音楽は、どこか重みと深みが加わった印象がある。一歩引いた目線で全体を大きく俯瞰し、決して力まずにスケールの大きな音楽を奏でる。なにやら凄みが増している。これ見よがしの演奏ではなく、冷静な中に自ずと滲み出る風格。
録音の上では、癌が発覚する直前の2014年4月、大阪フィル主席指揮者就任披露公演でのショスタコーヴィチの交響曲『第4番』、これがショスタコーヴィチを得意とするこの指揮者の力量が十全に発揮された凄絶な名演と呼ぶに相応しい出来栄えであり、さらには闘病生活を経た後の同年10月、同じ大阪フィルを指揮したチャイコフスキーの交響曲『第4番』(これも4番だ)、これが楽曲の持つ陰鬱な情緒を徹底的にあぶり出した実に深みある演奏となっていた。そして今回、ここでも大阪フィルを指揮してのショスタコーヴィチの『レニングラード』が登場。

まずタイミングを見て軽く驚くが、テンポが相当に遅い。全曲演奏に79分かけている。これは主に第1楽章の遅さに多くを負っているのだが(今年1月に東京フィルを指揮した『レニングラード』の実演でも遅かったが、ここではさらに遅い)、冒頭からなにやら意味深い。力の抜けきった弦楽器の奏楽。リズムは弾まない。それでも表面的には楽想のおかげで快活ではあるが、決して手放しでオケを開放しない。どこか表情が低回気味である。これは狙ったものなのか、自ずと滲み出ているものなのかは判然としないが、これがショスタコーヴィチの二重言語的多層性を聴き手に自ずと想起させる。そして例のボレロ風行進曲も、テンポは非常に遅い。行進曲後半においても多くの指揮者がやるようにテンポを上げない(ここでテンポを上げてのめり込むとパロディ性が死んでしまう。パロディは冷静に行なわなくてはならない)。しかし音響だけは壮絶を極めるので、ここでもなにやら分裂した感触がある。なんだかそれが強烈なのだ。

これに比べれば後半3楽章はより「普通」の演奏になっている感はあるが、演奏によっては峻厳で張り詰めた空気を醸し出すあの第3楽章のコラール楽想がしっとり落ち着いて悲しい色合いを表出する点に特に惹かれるものがある。そして終楽章。ここではコーダを特筆しておきたいのだが、その音楽はこせこせしておらず実に「巨きい」(おおきい)。この巨きさが、楽曲冒頭の「人間の主題」が回帰したことによる「戦争での勝利、人間性の回復」といったレヴェルの表題性をなにやら突き抜けてしまっている。これは圧倒的である。

ご存知の方も多いだろうから敢えて書くまでもないかも知れないが、それでも書いておこう、最近のミッキー(井上道義。間違える方がいるが「ミッチー」ではない)は、凄い。