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「音楽革命」パブロ・シーグレル&藤原道山|谷口昭弘

rev横浜能楽堂プロデュース「音楽革命」 パブロ・シーグレル&藤原道山

2016年2月27日 横浜みなとみらいホール 小ホール
Reviewed by 谷口昭弘(Akihiro Taniguchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ピアノ:パブロ・シーグレル
尺八:藤原道山
箏:奥田雅楽之一
邦楽囃子:廬慶順
バンドネオン:北村聡
コントラバス:西嶋徹
パーカッション:ヤヒロ・トモヒロ
クァルテット・エクセルシオ (バイオリン:西野ゆか、山田百子、ビオラ:吉田有紀子、チェロ:大友肇)

<曲目>
唯是震一:《火の島》
宮城道雄:《ロンドンの夜の雨》
山本邦山:《峠花》
山本邦山:《甲乙》
藤原道山:《東風》
(休憩)
アストル・ピアソラ:《ブエノスアイレスの秋》
アストル・ピアソラ:《天使の序章》
パブロ・シーグレル:《石蹴り遊び》
パブロ・シーグレル:《別れのミロンガ》
パブロ・シーグレル:《ロホ・タンゴ》
アストル・ピアソラ:《リベルタンゴ》
パブロ・シーグレル:《12 Horas 〜重なる瞬間 (とき) 》(横浜能楽堂委嘱作品)
(アンコール)
アストル・ピアソラ:《フーガと神秘》
アストル・ピアソラ:《リベルタンゴ》

「新日本音楽」や「現代邦楽」を通して、日本の伝統音楽に「革命」を与えた作曲家たち、そして「ヌエボ・タンゴ(新しいタンゴ)」を確立し、タンゴに「革命」をもたらしたアストル・ピアソラを核とし、それぞれの流れを継承するアーチストが共演するというのが、この「音楽革命」のコンセプトだ。こういった「革命」には賛否両論があり、時には激しい論争さえ巻き起こったが、改めてそれらをふり返ることがひとつ、そして、日本とアルゼンチンの音楽における革命がこの会場で出会って何が生まれてくるのか、曲目や参加アーチストを見ると、それもこの公演の大切なねらいなのだろう。

プログラム第1部は、まず唯是震一の箏と尺八のための《火の島》から。ニューヨーク、ロングアイランドの向こう側の大西洋に浮かぶファイヤーアイランドという地が曲のインスピレーションとなった。シンコペーションのリズムと尺八の朗々とした響き。箏はアルペジオをあまりやらないので、対位法的な絡み合いがある。しかし、ヘテロフォニーな古典より親しみやすいから不思議だ。宮城道雄の《ロンドンの夜の雨》も、外国の文化と出会って生まれた作品だが、旋法的な音の選び方に宮城の時代性を感ずる。日本の伝統音楽の演奏家=作曲家が西洋の文化・音楽に出会い、自ら依って立つ演奏実践と異質なものとが衝突・格闘するなかで、生み出された「革命」だった。 山本邦山の《峠花》では、音域が箏より低い十七弦が「支える楽器」としての機能を強めており、懐の深いこの楽器が運動的機能を増した尺八の旋律を包んでいく。テクスチャー的には西洋的な発想で、半音階的な和声の領域にも踏み入っており、一方、箏は微分音も音色の一部として使う。後半は動機の繰り返しと展開が明確で、全体としての構成感も西洋的で明確だ。 第一部で圧倒的だったのは尺八独奏曲《甲乙》である。最初からコロコロとユリを併せて使ったり、玉根(フラッタータンギング)を使ったり、古典曲から受け継がれてきた超絶技巧を最初から次々と投入し、息の長いフレーズではブレス・コントロールの確かさも試されるなど、聴いている方も緊張感を強いられる。これを藤原道山が見事に吹き切った。 最後は、その藤原道山による《東風》。ここでパブロ・シーグレルのピアノが入ると、まずその音の大きさに驚かされた。尺八はノイズを駆使して楽器らしさを出していたが、箏はあまり聞こえず割りを食った形になってしまった。西洋のリズムと和音が邦楽器を飲み込んだともいえる。ただ会場を最も湧かせたのがこの曲だったということも明記しておく必要はあるだろう。

第2部は、パブロ・シーグレルを中心にした内容。《ブエノスアイレスの秋》から、一気に雰囲気が変わる。PAを通して全体に音量が上がり、胸にズシンとくるベース、一音一音微妙に異なる発声をするバンドネオンのタッチ、スピーカーを通してチェロのタップリとした歌が聞こえてくる。また楽しくエキサイティングで、即興的要素も入ってくる。曲のテンポやリズム・パターン、性格の違いは明らかだが、第1部ほど大きな音楽様式上の変化はない。おそらく、アルゼンチン・タンゴの「革命」が背負ったものが、同じタンゴというジャンルの中でのことだったのに対し、日本の「革命」は、それよりもずっと重いものだったからということなのかもしれない。もちろんその「重み」の違いがあるからといて、どちらがどう、という問題を提起するつもりはないが、やはりその違いは小さくないのだ。

《リベルタンゴ》には尺八の藤原道山が加わる。尺八がその中で旋律をも担当するのだが、最初の方は音域が低いためか聞こえない。フルートが活躍する音域に入ってくると、ようやく聞こえてくる。やはり西洋音楽の発想なのか。尺八が、そのフルート以上の役回りができるのかどうかが気になってくる。 そういった問題意識を噛み締めながら、横浜能楽堂の委嘱作品《12 Horas 〜重なる瞬間〜》を聴いた。ブエノスアイレス港と、アルゼンチンへ日本移民が旅立った横浜港を題材にした<2つの港>では、箏やウィンドチャイムの音色から序奏が始まり、すぐにタンゴ風になる。このタンゴのリズムに鼓が入ってくる。緩徐楽章となる<海原>ではピアノのシーグレルが演奏から抜け、箏のアルペジオがたっぷりと聴けたし、鈴(りん)らしき音も聞こえてくる。その使い方は描写的。ただ無理に伝統色を出そうという意識はなかったようだ。最終楽章の<再会>では、自由拍節の部分で邦楽器の音色が、途中からはタンゴにびんささらを加えるという、2つの伝統の出会いがあった。ここでも《リベルタンゴ》同様、尺八がいかにフルート以上の何かを出せるのかという難しさを感じた。 おそらくこのような「一期一会」の出会いを祝祭的に捉える曲で、筆者のような伝統楽器の特性云々という問いかけは不毛なのだろう。そもそも委嘱作の作曲をパブロ・シーグレルが担当するというところで「勝負あり」と言われそうだ。だが建前上は単なる共演以上をめざしているはず、というところの心残りはあったのが正直なところ。おそらく本公演のような出会いの繰り返しの中で、また新たな「革命」が起こってくるのかもしれない。

ただ、そんな堅苦しいことを考えないでいれば、アンコールも含めて第2部は大いに楽しめた。素直に国境を越えた音楽の交わりと考えれば良いのだろう。日本の伝統音楽の大きな変革のプロセスにも出会えたし、学ぶことの多い公演であった。

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