Menu

folios critiques④|林喜代種の仕事|船山隆

folios critiques④

林喜代種の仕事

text by  船山隆(Takashi Funayama)
photos by  林喜代種 (Kiyotane Hayashi)

本誌に「ピエール・ブーレーズあるいは〈中心かつ不在〉」を寄稿した後、毎日新聞社から依頼があり、「『音楽の領域』開拓を指揮 ブーレーズさんを悼む」という文章を書いた(2016.0202夕刊)。独特の指揮棒を持たないブーレーズの肖像写真を撮ったのは、音楽写真家の林喜代種であった。林は本誌と密接な関係を持っているようである。私が林の仕事の一端に触れたのは、昨年の夏、草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバルの時である。

音楽写真家として日本で最も有名なのは、木之下晃(1936~2015)であろう。木之下の作品の中で私が最も高く評価するのは、生涯樹木を愛し続けた作曲家武満徹に関する一連の作品である。武満は『樹の曲』をはじめ多くの樹木をテーマにした作品を生み出しているし、一人娘の名前は〈眞樹〉である。木之下の作品で最も秀逸な1枚は、空に高く伸びた大木の前に佇む作曲家の全身像(1977年)。木之下の作品は世界中の音楽家に敬愛され、サントリーブルーローズで開かれたお別れの会に出席したある指揮者は、その告別の辞で「木之下さんの写真を見ると、自分が演奏しているどの瞬間かがわかる」とさえ言い切っていたらしい。にわかには信じられない話である。こうした写真を撮った木之下と林がどのような関係にあるかは詳らかには知らない。しかし私は昨年の夏に林作品を詳細に見ることで、林が木之下とはちがった方向から音楽写真を撮り続けている人だということを理解したように思う。

草津アカデミー&フェスティバルは1980年に創設されている。私は第2回と第3回の2年にわたって、その音楽祭に出かけたと思う。最初は、なぜか赤い日の丸がドアに描かれた中古車に、今年47歳になった、当時中学生だった次男を乗せて、草津まで運転していった。

音楽祭とはいうものの、スキー場の天狗山レストハウスを会場にして演奏会が開かれ、雨が降ると雨の音が演奏を邪魔するような素朴なものだった。この音楽祭の立役者、井阪紘氏やその仲間たちと、卓球で遊び、温泉に浸って帰ってきた。

昨年の第36回のアカデミー&フェスティバルは、第11回から音楽監督を務めた遠山一行先生を偲ぶ会が開かれるということで、何十年かぶりに草津を訪れた。なんという変化だろうか。草津音楽の森には、吉村順三の設計した608シートの立派なコンサートホールが建っている。アカデミー&フェスティバルも見事にオーガナイズされ、毎回多くの聴衆を集めていた。私はそのギャップに驚いたが、当日会場で見つけた林喜代種の写真集「MUSICIANS ―KUSATSU SUMMER ACADMY―Photo by KIYOTANE HAYASHI―25th Anniversary issues by Kanshin-Etsu Music ACADEMY」(発行/草津アカデミー友の会)は、草津アカデミー&フェスティバルの発展の軌跡を補ってあまりあるものであった。

林は、毎年現地に通い、参加した作曲家、演奏家、聴衆、受講生を活写している。労をいとわずにそれらの作品を紹介してみよう。私がもっとも好きな写真はフランスのピアニスト、アンリエット・ピュイグ―ロジェと作曲家篠原真の対話の情景。全身エネルギーの固まりのようなロジェ先生とヨーロッパで生涯を送ることになる作曲家篠原、この二人のフランス語の鋭い会話が聞こえてくるような感じさえしてくる。遠山一行夫人の慶子のエレガントな姿を写した多くの写真も、その音楽と人柄を見事に表している。中曽根元総理大臣、皇太子時代の天皇陛下、皇后陛下、遠山夫妻の写真も、この音楽祭の性格を示している。天皇陛下と美智子皇后陛下はかなり長いことこの音楽祭に毎年ご臨席されているようで、美智子皇后陛下はアカデミーのワークショップに参加なさっていらっしゃるご様子。

写真集を眺めていると、この音楽祭に参加した演奏家の吉原すみれ、高橋アキ、オーレル・ニコレ、作曲家の一柳慧、武満徹、秋山邦晴などの姿も見えるが、多くの人々が幽明境を異にしていて、懐かしいと同時に心の痛みも感じざるを得ない。

林喜代種と私は、演奏会場で会釈をする程度のお付き合いであり、その作品も詳しく知っているわけではない。しかし、林の写真には、ドキュメンタリー風の鋭さではなく、いつも人間味に溢れた温かい視線が感じられる。誤解を恐れずにいえば、音楽に対する深い愛情が立ち上ってくるようにさえ思われる。音楽を感じさせる写真、音楽を感じさせる批評、音楽を感じさせる論文、音楽を感じさせる演奏などというものがあるのかもしれない。今度本誌で林の仕事に触れることもあるかもしれないし、直接会う機会があれば、その辺の写真家の事情について尋ねてみたいと思う。私はまだ今年草津再訪を計画するかどうか迷っているが、林はこれからも必ず、あの草津のホールや森や草原の中で音楽人を写し続けるだろう。

草津フェスティバル&アカデミーを長年にわたって支えていたのは、いうまでもなくレコードプロデューサーの井阪紘である。昨年の夏にもホールのステージに何度も登壇して企画意図や演奏家の紹介をしていた。しばらくぶりに会った井阪はやはりずいぶん歳をとったものだ。私が井阪に最初にあったのは、彼が日本ビクターで『三善晃の音楽』という素晴らしいレコード集を作成した時、つまり1970年で、私は豪華な解説書の大半を執筆した。現在の草津フェスティバル&アカデミーの音楽監督は西村朗であり、この二人は『音楽の生まれるとき――作曲と演奏の現場』(春秋社、2010年 2200円+税)「Ⅲ音楽祭をつくる 草津でかかげた理想の音楽」で、音楽祭の細部について語り合っている。興味のある方はぜひご一読されることをお勧めしたい。この本はなかなか読みやすい形に編集されているが、編集にあたっているのは、昨年まで春秋社に勤めていた片桐文子である。片桐(筆名佐伯ふみ)は本誌メルキュール・デザールの同人、世の中は狭いものである。

————————————————————————————
船山隆(Takashi Funayama)
福島県郡山生まれ。東京藝大卒、パリ第8大学博士コース中退。1984年より東京藝大教授、2009年同名誉教授。2014年より郡山フロンティア大使。1985年『ストラヴィンスキー』でサントリー学芸賞受賞。1986年芸術選奨文部大臣新人賞受賞。1988年仏の芸術文化勲章シュヴァリエ受賞。1991年有馬賞受賞。東京の夏音楽祭、津山国際総合音楽祭、武満徹パリ響きの海音楽祭などの音楽監督をつとめる。日本フィルハーモニー交響楽団理事、サントリー音楽財団理事、京都賞選考委員、高松宮妃殿下世界文化賞選考委員を歴任。

草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル25周年記念写真集 表紙(2004年発行)

草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル25周年記念写真集 表紙(2004年発行)

アンリエット・ピュイグ=ロジェ pf & 篠原 真 com(1982年)

アンリエット・ピュイグ=ロジェ&
篠原 真 (1982年)

皇太子殿下・美智子妃殿下(1983年)     左から中曽根元首相、遠山一行、両殿下、豊田耕児、林健太郎

皇太子殿下・美智子妃殿下(1983年)
左から中曽根元首相、遠山一行、両殿下、豊田耕児、林健太郎

ワークショップ風景、皇后陛下&ジェンマ・ベルタニョッリsp(2015年)

ワークショップ風景
皇后陛下&ジェンマ・ベルタニョッリ(2015年)