東京都交響楽団 第799回 定期演奏会|藤原聡

都響

Concert Review

東京都交響楽団 第799回 定期演奏会Bシリーズ

2015年12月15日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
東京都交響楽団 指揮:マルク・ミンコフスキ

<曲目>
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」op.43
ブルックナー:交響曲第0番 ニ短調 WAB100(ノヴァーク版)

12月10日と11日には金沢で見事なシューマンを聴かせてくれたミンコフスキ、中4日で今度は舞台を東京に移しての都響客演。2014年8月の同オケへの初客演で圧倒的な成功を収めただけに、今回の再登場はまさに待ち望まれていたものだろう。なお、当夜のプログラム中、ルーセルはオケ側からの、ブルックナーはミンコフスキからの希望によるもの、と聞く。

演奏について最初に結論を述べれば、筆者が接した2015年における都響のコンサートの中でも最も素晴らしいものであったと断言してよい。それほどまでに卓越した一夜であった。それは主に後述するブルックナーの見事さに負うところが多いけれども、前半のルーセル『バッカスとアリアーヌ』も負けてはいない。ミンコフスキがどのような魔法を使っているのかは詳らかではないが、ルーセルの冒頭から音が違う。都響の卓越した上手さは分ってはいたつもりだが、艶やかで、滑らかで、軽快さがあり、切れ味もあり、色彩感があり、透明で、質感も十分な音、つまりは作品の求める音そのものということだが、このような音が日本のオケから聴ける機会もそうはないのではないか。やや細身で引き締まった大野和士の音とも、図太い低音をベースにした、磐石な建築を思わせるようなどっしりとしたインバルの音とも違う、ミンコフスキの音。これを駆使して鮮やかな場面転換を次々に決めてくれるものだからこれは聴き惚れぬわけには行くまい。よりワイルドな演奏はありうるし(特に第2組曲終盤)、この夜が当曲の初振りだという―これもまた信じ難い話だ!―指揮者にこなれていない点があったことによる「事故」もあった。しかし、それでもこの『バッカスとアリアーヌ』はこの上なく洒脱な音の饗宴を繰り広げた名演と言うにやぶさかではない。すばらしい。

聴衆の歓呼に応えてカーテンコールの最後に投げキッスをしながらミンコフスキがステージを去って前半が終了、休憩後の後半は一般的なイメージではこの指揮者とは結びつかないブルックナーの交響曲『第0番』。こちらも冒頭からあまりにミンコフスキ。遅めのテンポで入念、繊細かつカラフルでダイナミクスも微妙に変化し、表情も多彩。早くもミンコフスキの手腕が開陳される。どんなトゥッティになっても響きはあくまでクリアであり、音構造が透けて見えるようだ。その上、迫力がありながらも響きはたおやかでうるささが微塵もない。類稀なる一体化の賜物。それにしても、普段から素晴らしい「有機体」である都響としてもこのレヴェルは突き抜けている。ちなみに同オケのコンサートマスターである矢部達哉氏はツイッターで、ミンコフスキは細かいことをやるのが好きではなく、ディテールをやるにしても全体の流れを重視、「小さい長い短い早い遅いというところを言ったら、あとは本番でやりましょう!」(原文ママ)というような即興性に満ちているとのことだが、矢部氏も書くようにこれが互いに聴き合い、集中力を圧倒的に高める秘密なのではないか。だから音が必然的に研ぎ澄まされてくる(さらに付記すれば、例え話が「時々笑ってしまうほど的確」で、あるいはイメージを伝えた後に、その音や響きを具現化してまるで絵のように見せてしまう、のだという)。第2楽章では静謐なピアニッシモが実に美しく、この抒情は一瞬『アルルの女』のアダージェットを連想すらさせ、次なるスケルツォの弾力あるリズムと推進力の見事さには聴いているこちらの体も思わず揺れ動く。終楽章では各部分の対比を明確に打ち出しながら、かつこの曲の演奏でしばしば聴かれるような荒削りさを感じさせない円滑な流れを構築する手腕は全く見事の一語である。さらには対位法における各声部の扱いも明晰極まりない。しかし、こう思われる方もいるかも知れない、ミンコフスキの個性ばかりが前面に出て来ているんじゃないか。半分は当たっており、そして半分は間違っている。この指揮者がユニークなのは、確かに他の指揮者には聴かれない解釈が部分としては認められるにせよ、それが楽曲の見えざる本質や新たな魅力を浮き彫りにしている点で、ここがただただ「我」ばかりを主張する指揮者との決定的な違いなのだ。あるいは部分の解釈が全体に奉仕している。細部の効果ばかりが突出しない。これはこの指揮者の知性と天才ぶりに由来するとしか言いようがないが、しかしながらこの演奏の成功は『0番』だから、という憶測は成り立つかも知れない。言うまでもなく後期の交響曲ほどに厳格な構成を持つわけではなく、ブルックナーとしては歌謡的なメロディが際立つ(終楽章のチェロの主題などはまるでロッシーニではないか!)。つまり、ミンコフスキ流のやり方が中~後期の交響曲に比較してより「合う」要素が大きいと感じる。仮にこの指揮者が『第5』や『第9』を演奏したならば一体どうなるのか。なかなか想像が付かないけれども、「その日」を首を長くして待ちたいところだ(付記すれば、来シーズンの都響への客演予定はないようだ。残念…)。

ブルックナー演奏後の聴衆は湧きに湧く。ミンコフスキはスコアを抱きかかえ、「この曲が大好きなんですよ」と言わんばかり。前半にはやらなかったミンコフスキ流儀の楽員全員のお辞儀も。最後には指揮者のソロ・カーテンコール。全くそれに値するコンサートであった。

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