五線紙のパンセ|その2)「命」の風景|石島正博

その2)「命」の風景

text by 石島正博(Masahiro Ishijima)

「戦争のために祖国の美しい自然がどんどん傷められるのがたまらなく悲しい」。

帝大野球部の名遊撃手として「マルオ」の名を馳せた丸尾至(いたる)はそう言い残して吉林省陸軍病院にて戦病死した。享年25歳。戦没画学生の一人だった。

信州塩田平で訪れた「無言館」には「マルオ」のように画家を目指して生き、そして死んだ多くの画学生の作品が展示されている。それらの作品の多くに付された『風景』という画題を見て私は司馬遼太郎が『街道の道』のなかで述べた次の言葉を思いだしていた。

「国家というのは、つきつめれば山川草木のことである。さらには、山川草木に依存してくらす人々とそれらの暮らしの総和のことである」。

その山川草木が戦争によって破壊されたり、土地が金員で売られたり、またはそこで古くから育てられてきた穀物や牛や豚などの家畜、海や川に住む水生生物などが一部の人間の欲望や利害のための取引=自由貿易という名の美名のもとに結ばれる協定や処分の対象になって、その存在が失われるとすれば、この国の山川草木が織りなす風景のみならず、その風景のなかに生きるわたしたちの暮らしそのものも大きく変わらざるを得ないであろう。

「マルオ」は画家としての眼と「生」の喪失を自覚した人間としての愛惜から、うつくしい里山の秋や釣り人のいる風景など、人と山川草木とが調和した、この国の無為の風景を描いたのだろう。いや、命がけで描いた、と言った方が正しいかも知れない。

しかし、それらの絵に悲壮感はない。うつくしいものをうつくしいものとして、風景という言葉が示す通りの、風と光とで眼前に広がる自然を、画家の眼が捕らえた光と身体が感覚する、そこに在るものがありのままに描かれている、と言っていい。ただそれだけのことであるにも関わらず、それらの風景はしかし、どれもみな光に満ちているのである。そしてその光は描いた「マルオ」自身の内なる光が外に放射されたかのような、言うならば「マルオ」が絵=風景のなかに今も生きているように私には思われたのである。

シューベルトもまた夭折した作曲家だった。私は今、彼の最後の作品『岩の上の羊飼い』(D965)のことを考えている。それは快活でやわらかな日差しを浴びたアルプスに繰り広げられる、変ロ長調で書かれた一幅のパストラーレ(牧歌)である。

W.ミュラーのその詩はこのようにはじまる。

ぼくがいちばん高い岩山の上に立ち
深い谷間を見おろしながら
歌をうたうとき、
はるか下の深い暗い谷間から
こだまがひびき合いながら返ってくる。
ぼくの声が遠くまで透(とお)れば透るほど
こだまは一層澄みきったひびきで
下から戻ってくる。

(喜多尾道冬訳)

歌詞はその後、ぼくの報われない恋に傷んだ心がやつれて淋しさに包まれるが、ぼくの歌う歌は不思議な力で聴くものの心を天上へと引き上げる…と続く。

この魂の垂直の引力こそ、深遠な闇からまっすぐに地上に放たれ私たちを貫くひとすじの光、すなわち音楽の正体である。

シューベルトが歌に託した憧れ(=希望)はしかし私には彼の、死を前提とした絶望の深度に反数的(aに対する-a)に比例しているように思われる。魂の亀裂から噴き上がる音楽。音楽=表現の深さとは畢竟、それを表す人の魂の深さのことに他ならない。そして、シューベルトの魂は深く、その苛烈な「生」を生きる術として営んだ作曲の最後の作業において、死よりも愛、絶望よりも希望、すなわち幸福な時間を紡ぐことを選んだように私には思われるのである。

「マルオ」もまた同じように彼の「風景」を描いたのではなかったか。

今は秋。紅葉した葉身が枝の尖端で悪戯な風に揺れている。信州信濃追分、ローカル線「しなの鉄道」がゆったりと走るその車窓に映し出される風景はビロードのようにうつくしい。風景が泣き濡れている。虹のように美しくその身を染めた葉っぱたちはしかし、間もなく枝を離れやがて水に混じって土を肥やし、次の春の命を準備するだろう。

その風景は永々と繰り返されてきたこの国の四季のめぐりであり、私たちもまたその風景のなかの命の一部分を担ってきた。

命(=暮らし)を豊かにするということは、物質的繁栄を際限なく進めることではない。物心両面の充実があってこそ実感できるものなのである。信州追分の風は新幹線には決して入らず、その景色は超高速で走る車窓からは決して見ることのできないものなのである。心は経済効率とは無縁だ。

「マルオ」が描いたこの国の風景、シューベルトが音で描いたアルプスの風景、そして、二人が生きた切実な「刻」(とき)の風景。

私にはそのすべてがかけがえのない命の風景に思えるのである。

信州塩田平

 

 

 

 

 

 

 

 

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石島正博 Masahiro Ishijima(1960〜)
桐朋学園大学卒。三善晃に師事、八村義夫に私淑した。武満徹主宰MUSIC TODAY国際作曲コンクール・ファイナリスト、日本音楽コンクール(管弦楽部門)3位、第10回民音現代音楽祭委嘱、87-89年フランス滞在。研究・著書に「ラヴェルピアノ作品全集」(全3巻)(全音楽譜出版社刊)他がある。現在、桐朋学園大学教授。