五線紙のパンセ|その1)ほほえむいのち|石島正博

五線紙のパンセ

その1)ほほえむいのち

text by 石島正博(Masahiro Ishijima)

東北の大震災から4年と7ヶ月が経つ。私は父方の故郷である石巻で生まれ、そこに15歳まで暮らした。74名のこどもが津波にさらわれて亡くなった大川小学校は私が小さい頃よく友達と遊んだ川沿いにあった。川岸に舫(もや)がれた廃船は私のお気に入りの遊び場だった。時空を超えて、「死んだこどもは私だったかも知れない」、或る時からそのことが頭から離れなくなった。

3.11の後、すぐに私は小さなピアノ曲を書いている(*1)。『レクイエム』と名づけたその曲は、私が私の記憶の風景のために行なうミサだった。その後、私はヴァイオリンのソロのための曲を書いた(*2)。死者とならざるを得なかったこどもたちの、歌われることの無かった歌に私は耳を澄ませた。

逝ったこどもたちのうたを拾い集めたい、という気持ちは、詩人、高貝弘也の《沖でいのちを孵化している 幼な子は / 魂 嘔吐(えず)くように、泡だっている。》という美しい言葉に触発されて、次にマリンバ・ソロのための作品に投影された(*3)。死ななければならなかったこどもたちの《嘔吐(えず)く魂》が、次に生まれるものへと祈られる光となることを私は願い、音に託した。

マリンバと併行して打楽器アンサンブル(*4)を書いた。石巻の市場沿いに累々と積み上げられた瓦礫。女川の津波の跡の大地を映したような虚空を泳ぐ鳥。それらの風景を突き抜けて私が嘗て愛した自然は残酷なほど美しかった。「無」と「無限」は「消滅」と「永遠」の関係に似ている。曲中で使われる打楽器には、通常の打楽器の他にさまざまな廃材を用いたが、それらに私は《死んでいて》しかも《生きている》ものたちを表象したかった。

震災から2年が過ぎて、直接の痛みは消えつつも、確かな跡を残した私の火傷した心は、少し冷静さを取り戻していた。気がついてみると、私は「命」そのものについて考えるようになっていた。それが私に弦楽四重奏曲(*5)を書かせる契機となった。その第1楽章に私は〈はっきりと見える最も遠い点〉と〈聴こえるものすべてのひとつひとつにクライマックスが存在するような持続〉を、第2楽章に〈悲しみ〉、〈縁(ふち)あるいは境界の豊かさ〉、〈滲み〉を、そして第3楽章に、〈エラン・ヴィタル〉と〈祈りのコラール〉をそれぞれ構想し、そしてその定着を試みた。カルテットをという考えにはもうひとつ、その頃、既に大分ご病状がおもわしくなかった恩師三善晃先生に少し纏まった作品をお見せしたいという気持ちもあった。

さて、その第1楽章は、全楽器によるSul ponticelloの強烈なpizzicatoの後、唯一弱音器が指示された第2ヴァイオリンが、狂ったように(furioso)弾き出す、急速なパッセージからはじめられるのだが、その音像に対して私は次のようなイメージを抱いていた。

《小さな 遠い叫びが はっきり 聴こえる》

それは同時に〈聴こえるものすべてのひとつひとつにクライマックスが存在するような持続〉という概念をも抱かせたが、それが “命のようなもの” であることを、私は書き進めながら実感していた。

《音は 命に 似ていた》

カルテットの楽譜を見せた友人が、「エッチングのような、固い板を細く鋭いペンで引っ掻くような、白黒の世界、そしてインクの滲(にじ)んだ悲しみ」と、音楽の物理的な側面とともに自分の痛みとしての共感(empathy)を作品に示してくれたことがとても嬉しかった。

「命」についての思惟は、次にマドリガルを作曲することにつながった(*6

「そもそも、私には人の声を想うことが〈音造り〉のはじめに、いつもあった。声は楽器と同じ音ではあるが、それは単に音響ではなく、それが言葉として明示される以前も以後も、声という音は、人間の愛や嘆きを音の内部に湛えている。

弔うことを必然としてきた3年前からの私の創作に、昨年の秋、恩師三善晃先生のご逝去が重なった。(中略)震災後の日本で私は、死者たち、そして死への軌道を一にする生者たちと共に声を合わせたいと思っている。人の声を想うことが、これからも私の創作のはじめに、それ故に、ある。」

私はマドリガルの初演のプログラムにそのように書いた。

震災から3年と2ヶ月が過ぎていた。

昨年6月、私は心から信頼している若い音楽家の2人、打楽器の窪田翔さんと、ヴァイオリンの坂口昌優さんのために『With…』(*7)という曲を書いた。彼岸の大きな樹の下で、互いに手をつなぎ、微笑み遊ぶこどもたち。そのさんざめき。私はそのこどもたちに此岸の若い2人を重ね合わせた。そして、私自身をも。

生者であるわたしたちと死んだこどもたち(震災のみならず、戦争や飢餓、虐待や自死などで失われた全ての命)が、合わせ鏡に揺らめく光の間(あはひ)に向き合っている。彼岸と此岸の隔てなく、そのあまたの命に呼びかける音を、その命たちがほほえんでくれるような音楽を、次に私は書きたいと思っている。

震災から4年と7ヶ月が過ぎようとしている。

★音源(YOUTUBE)

(*1) 《REQUIEM》 for piano solo (2011)

(*2)《SOLUS》 for violin solo

(*3)《EXHALE》for marimba solo(2012)

(*4)《IN PARADISM》(楽園歌) for Percussion ensemble (2011)

(*5)弦楽四重奏曲第1番(2013)

(*6)3つのマドリガル(2014)

(*7)With…ソロ・ヴァイオリンと打楽器奏者のための(2014)

尚、《弦楽四重奏曲第1番》は11月14日(土)PM7:00、桐朋学園大学ファカルテイコンサート(於、桐朋学園大学調布校舎008室)、また、《SOLUS》 for violin soloは2016年1月7日(木)河野彩ヴァイオリンリサイタル(於、杉並公会堂小ホール)で再演予定。

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石島正博 Masahiro Ishijima(1960〜)
桐朋学園大学卒。三善晃に師事、八村義夫に私淑した。武満徹主宰MUSIC TODAY国際作曲コンクール・ファイナリスト、日本音楽コンクール(管弦楽部門)3位、第10回民音現代音楽祭委嘱、87-89年フランス滞在。研究・著書に「ラヴェルピアノ作品全集」(全3巻)(全音楽譜出版社刊)他がある。現在、桐朋学園大学教授。

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編集部:註
このコーナーは作曲家お一人につき3回の連載形式となります。