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第1回 “Remote” Ensemble Salicus Live 〈転んでもただでは起きない者たち〉|大河内文恵

第1回 “Remote” Ensemble Salicus Live 〈転んでもただでは起きない者たち〉

2020年5月22日 YouTubeによるライブ配信
2020/5/22 Streaming by YouTube Live
(“Remote” Ensemble Salicus 音源集多重録音
https://www.youtube.com/watch?v=dG2Ztr4GD0c
https://salicus.thebase.in/)

Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)

<演奏>
Ensemble Salicus:
  鏑木綾
  富本泰成
  櫻井元希
  渡辺研一郎

<曲目>
グレゴリオ聖歌 昇階唱「主よ、全ての目があなたを待ち望みます」
ジョスカン・デ・プレ「アヴェ・マリア けがれなき乙女」
クローダン・ド・セルミジ「我が魂よ、主を讃えよ」
トマス・ルイス・デ・ビクトリア「おお、大いなる神秘」

~アンコール~
トマス・タリス「もしあなたがたが私を愛しているなら」

 

新型コロナウイルスによって演奏会が開催できなくなってはや数か月が過ぎ、無観客演奏会のライブ配信やら過去の演奏会の動画配信やら、そしてリモート演奏といったさまざまな新しい試みがなされてきた。

誤解を恐れずに言えば、初めのうちこそ物珍しさも手伝って心躍らせて見聴きしていたものの、徐々に興味をそそられなくなってきている。その類のものに飽きたというわけではなく、画面を通した音楽を聞けば聞くほど、やはり生の演奏会で聴きたいという思いが募り、演奏そのもの出来如何にかかわらず、不全感が拭えないのだ。

ふと、これは学校のオンライン授業とリアル授業の違いと似ているのではないかという気がしてきた。大きく分けると、オンライン授業には否定派と肯定派があり、前者は「オンライン授業は所詮リアル授業の劣化版にすぎない」といい、後者は「オンライン授業によってリアル授業では実現し得なかった授業を展開することができる」という。

この両者はじつは背反するものではなく、1つの授業の中でも同時に存在しうる。オンライン授業にはどう頑張ってもリアル授業に追いつけない面もあれば、考え方を変えることによって、それまで思いつかなかった成果が生まれることも多々ある。生の演奏会には敵わないけれど、リアルではないからこそできることもあるということを、このリモート・ライブで筆者は知ることになる。

開始予定時刻を少し過ぎた頃、えびらホールをバーチャル背景にした4人が画面に現れた。ライブは4人のトークと演奏を交えながら進む。まずは富本が多重録音の経験について語る。1人で何パートも重ねながら録音していく手法は、ポピュラー系では山下達郎などがやっているが、クラシック音楽ではあまり聞かない。富本いわく、すべてのパートを一人でやると良い癖も悪い癖もすべて一致するので、良いところはよりよく聴こえるが、逆に悪いところは欠点がより強調されてしまう虞がある。また、テンポが一定のものはやりやすいが、テンポに揺れがあるものは合わせにくいという。ポピュラー系でよく見かけるのは、テンポの揺れが少ない音楽だからであろう。

1曲目はテンポが揺れる音楽であるグレゴリオ聖歌。録音のやりかたの裏話はもっと後に語られたのだが、ここでは先に述べておこう。今回の演奏は、ライブで同時に歌って合わせるのではなく、多重録音を4人でやる形でおこなわれた。手順としてはまず、櫻井が全パートを歌った仮録音をし、それを元に一人ずつ録音したものを重ねる。全パート揃ったものを聴き直し、修正を加えた上で同じ手順でもう一度繰り返したものが、使用された音源である。

そうして録音されたものは、生の演奏会で聞くよりも一人一人の声がダイレクトに聞こえてくるため、声部の絡みがわかりやすく、それゆえにちょっとしたズレも耳につきやすい。やはり多重録音には限界があるのかと思ったが、次のジョスカンからは、そのズレがまったく気にならなくなった。さらに、まるで教会の中で聴いているかのような豊かな残響と倍音に包まれ、本当にこれが多重録音なのかと信じがたいクオリティ。

1曲終わるごとに4人の画面があらわれ、演奏中もコメント欄に書き込みが続くさまは、オンライン・ミーティングやインスタ・ライブをみているかのような不思議な共時感覚をもたらす。ホールでの演奏会であれば、観客の反応は息を詰めて緊張している感じとか、ふーっと呼吸する音とか、さまざまな空気感で感じとることができるが、「これネウマ譜見ながら聴きたい」といった聴き手の心の声が目に見えることはない。

このライブの演奏音源は後日ダウンロード販売され、それも聴いてみたのだが、演奏のクオリティは変わらないものの、あのライブでのわくわく感までは再現されなかった。ニコニコ動画などでコメントが入った動画をみかけると、あのコメントは不要なのではないかと思っていたが、ライブ感の上では大きな意味があったのだということを思い知らされた。あらかじめ参加者に同意を取った上で、オンライン画面バージョンも販売したら、もしかしたらそちらのほうが需要があるのかもしれない。

トーク部分では、演奏者それぞれの過去の音楽体験や今後の展望などが語られ、演奏のみを流すのでは得られない「収穫」もあった。1時間ほどのライブが終わり、当初公開されていたプログラムにはなかった「アンコール」が1曲披露された。

思わず涙が零れそうになる。タリスのこの曲には心を浄化する作用があるが、それだけではない。この曲では、1人1声部ずつではなく、ソプラノを鏑木と富本、アルトを鏑木と富本、テノールを櫻井と渡辺、バスを櫻井と渡辺といった各パート2人体制で多重録音されていた。それによって室内アンサンブルではなく、合唱を聞いているかのような声の厚みが実現された。これはもちろん、大勢で多重録音することによっても得られるのかもしれないが、この4人のレベルで歌える人を大勢集めるのは至難であろう。それが多重録音という技術によって可能になるということが、図らずも証明された。今はまだリアルではできないことが、このようにして実現可能であるというのは、オンライン演奏会での1つの大きな成果であるといえよう。

今後、緊急事態宣言が解除されてリアルの演奏会が開催できるようになったとき、コロナ禍以前に戻るのではなく、その間に積み重ねたものの上からの景色を私たちは見ることになる。そう確信した一夜であった。

(2020/6/15)

<performers>
Ensemble Salicus:
 Aya KABURAKI
Yasunari TOMIMOTO
 Genki SAKURAI
 Kenichiro WATANABE

<program>
Gregorian chant Graduale “Oculi omnium in te sperant, Domine”
Josquin des Prez “Ave Maria…virgo serena”
Claudin de Sermisy “Benedic, anima mea, Domino”
Thomas Luis de Victoria “O magnum mysterium”

–Encore—
Tallis Thomas “If ye love me”