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読売日本交響楽団特別演奏会《究極のブルックナー》|藤原聡

読響読売日本交響楽団特別演奏会《究極のブルックナー》|藤原聡

2016年1月21日 東京芸術劇場
2016年1月23日 東京オペラシティ コンサートホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(指揮)読売日本交響楽団

<曲目>
ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調

前回来日時よりも足元はいささかおぼつかなくなり、背中も丸くなったように見受けられるスクロヴァチェフスキ。さすがに今回はあるのではないかと想像された椅子は指揮台上にない。事実、92歳になる「ミスターS」は90分近いこの大曲を2日とも立ったまま振り通した。時には大きなアクションでそれぞれのパートに鋭い動作で前のめりにキューを出す。演奏には直接的にあまり関係ないだろう、ではない。この身体性がこの指揮者の演奏内容と直に結び付いているからだ。今回、筆者は2日とも聴くことができたが、これは大いなる僥倖と言ってよい。

その演奏は、それまでのこの指揮者の同曲の演奏と比べてもさらに変化・深化している。第1楽章では従来の自身の演奏にないこころもち遅いテンポを採用し、パートバランスの独自の操作も目立たない、いわば枯淡の境地に近付いている。それは第2楽章でもいくらかは共通しているが、ミスターSの持ち味はスケルツォの回帰部分ですらオケ全体の音響を大きく開放することがなく、実にコントロールが効いている、という辺りから徐々に顔を出す。抑制気味の金管楽器に浮き上がってくる木管群の対比が新鮮で、こう言って良ければ「ミニマルミュージック的反復」の効果がどの演奏よりも耳に入ってくる辺り、ミスターSが大きな物語としての「老齢の巨匠指揮者」のイメージにすんなり回収される存在ではなく、やはり独自の目―それは作曲家の目、と言ってもよいし、あるいは恐らくは若き日に洗礼を受けたモダニストの目、と言ってもよい―が依然鋭く光っていることを表している。

しかしながら、次のアダージョでは前述のように冷静かつ分析的には聴いていられなくなるだろう。もう冒頭のゆったりとして深みのある弦楽器の響きからして圧倒的で、オーケストラの音色は常に美感と滋味を保ちながら実に内面的に進んで行く。ブルックナー演奏において、日本のオーケストラからこのような響きが聴けることは滅多にないのではないか。後で振り返ってみれば、情だけではなく極めて知的な演奏だとも感じ入るのだが、もはやこの指揮者にあってはいわゆる「知と情」は非常に高次のレヴェルで完璧に融合しているので、切り離して論じることは無理だろう。この楽章では主部の回帰前後とコーダの繊細極まりない演奏が特に印象的で、後者は「永遠」に繋がっている。筆者は無宗教な人間だけれどもこの演奏は何か超越的な次元にまで踏み込んでいたと思う。物理的な時間の流れなどは完全に埒外にあった。

であるから、終楽章冒頭での速めのテンポによる気合の入った主題の提示には筆者も含め聴衆は腰を抜かしたに違いない。果たしてこれが92歳の人間が指揮する音楽なのか。というよりも、これほど見事なこの導入部分を聴いた記憶がほとんどない。この楽章では一昔前のスクロヴァチェフスキ同様、細かいテンポの変化と独自の音響バランス操作が冴え渡るが、それが以前のようにあざとさを全く感じさせないのはありふれた言い方ではあるが「円熟」以外の何物でもあるまい。コーダの最後の最後ではリタルダンドからのインテンポできっぱりと断ち切るように終わらせるミスターS流儀も健在。終演後の楽員の姿からは、彼らがいかにこの指揮者を慕い敬っているのかがありありと理解できたし、かなりの数の聴衆もまたスタンディング・オヴェイションでこの稀有な老匠を称える。2日ともミスターSのソロ・カーテンコールあり。なお、2回の演奏では、初日の方がよりオケのコンディションは良く初日ならではのテンションがあり、2日目ではより落ち着いた演奏になっていたが、こちらはホルンに細かいミスが見受けられた。

正直申し上げれば、より大きな全体の流れの中で構築する構えの大きな演奏が筆者の好みではあるが、聴き終わってみれば「究極のブルックナー」なるいささか大仰なタイトルも全く大げさでなかった。結局、「究極」は好悪を越えるのだ。健康が許す限り、スクロヴァチェフスキにはまた読響に来て欲しい。会場中の全ての聴衆はそう願ったと思う。

(付記)

この両日、いわゆる「フライング拍手/ブラボー」があった。初日は最後の音が鳴り終わるや否や恐らく数十人の聴衆が拍手を始めたが、ミスターSが固まって動かないのを見て直ぐに止み、その少し後に指揮者も格好を崩して「終わり」というしぐさを見せたのでその後いっせいに大喝采。問題の2日目については、やはり同様に拍手が数人(と聞こえた)から発生、ここでもミスターSは固まっていたので止むと思いきや、うち1人が大声(蛮声に近い)で「ブラボォォォォォー!」と叫ぶ。指揮者は明らかにまだ楽曲世界に浸っているのだが、この蛮声にはさすがに驚き呆れたらしく、両手を指揮台の上に置いてオケの面々を見渡し「何だあれは?」という表情。そして仕方ない、という感じで苦笑しつつコンサートマスターと握手(ステージ近くのバルコニー席だったのでこれらをつぶさに見た)。ホール内で注意喚起のアナウンスはあり(もっとも演奏者がステージ上で「さらって」いたり、ホール内でのおしゃべりなどの音にまぎれてしまって必ずしもよく聞こえないが)、これ以上強硬な方法で注意を促すのも現実的には無理だろうし、雰囲気も良くない。プログラムにたいていは小さく掲載されているマナーについての諸注意を別紙にして目立つように挟み込む、などをしても意味はないものだろうか?

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