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東京二期会 歌劇『ダナエの愛』|藤堂清

Concert Review

danae東京二期会オペラ劇場
歌劇『ダナエの愛』

2015年10月4日 東京文化会館
Reviewed by 藤堂 清 (Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<曲目>
『ダナエの愛』
作曲:リヒャルト・シュトラウス
原案:フーゴ・フォン・ホフマンスタール
台本:ヨーゼフ・グレゴール

<スタッフ>
指揮:準・メルクル
演出:深作健太
装置:松井るみ
衣裳:前田文子
照明:喜多村 貴
合唱指揮・音楽アシスタント:角田鋼亮
演出助手:太田麻衣子
舞台監督:八木清市
公演監督:大野徹也

<キャスト> 10月4日 (カッコ内は3日)
ユピテル:小森輝彦 (大沼 徹)
メルクール:児玉和弘 (糸賀修平)
ポルクス:村上公太 (高田正人)
ダナエ:林 正子 (佐々木典子)
クサンテ:平井香織 (佐竹由美)
ミダス: 福井 敬 (菅野 敦)
ゼメレ: 山口清子 (北村さおり)
オイローパ:澤村翔子 (江口順子)
アルクメーネ:磯地美樹 (塩崎めぐみ)
レダ:与田朝子 (石井 藍)
4人の王&4人の衛兵:前川健生、鹿野浩史、杉浦隆大、松井永太郎

合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

R.シュトラウスの『ダナエの愛』という、世界的にみても上演頻度の低いオペラの価値、面白さを教えてくれた公演であった。準・メルクル指揮の東京フィルハーモニーが実に雄弁に、このオペラに盛り込まれている要素を浮き立たせる。シュトラウス本人の以前の作品、『ばらの騎士』、『ナクソス島のアリアドネ』のいろいろな場面を思い出させるところや、ワーグナーの作品、特に『ニーベルングの指環』のパロディーのような音楽や言葉があちこちにはめ込まれている。それを的確に聴衆に示してくれた。

この作品は、ドイツが戦争へと進んでいく1938年から1940年にかけて作曲された。彼の最後から二番目のオペラである。初演は、彼の死後、1952年ザルツブルク音楽祭においてクレメンス・クラウスの指揮で行われた。日本では、若杉弘の指揮で2006年に演奏会形式で上演されているが、舞台上演は今回が初めてである。 台本の原案は、ホフマンスタールが第一次大戦直後にシュトラウスに送っていたもの。それをもとに、ヨーゼフ・グレゴールが台本を作成した。ギリシャ神話の、父親に幽閉されていたダナエのもとにゼウス(ジュピター、オペラでの役名はユピテル)が金の雨となってふりそそぎ、英雄ペルセウスを生ませるという話と、手に触れるものがすべて金に変わる力をディオニューソスから与えられたミダス王の物語を絡み合わせたもの。オペラのほうは、人間の、「金」によって象徴される経済的豊かさへの憧れや執着と、貧しさの中でも「愛」のある精神的な豊かさをえがく。

舞台は、ダナエの父ポルクスが、自らまねいた財政破綻から抜け出すため、ダナエの結婚相手の金の力に頼ろうと各地に使者を送ったところから始まる。債権者がポルクスに迫る喧噪は『ラインの黄金』の地下の場面と類似する。ミダス王がダナエへの求婚者(債権の支払保証人?)として登場するが、それはミダス王に変装したユピテル、それ以前にミダス本人は「ミダス王」の使者としてダナエに会っている。ミダスに惹かれていたダナエは、金への憧れやユピテルの提示する富よりも、「金の力」を失うことになるミダスとの貧しい生活を選ぶ。残ったユピテルに債権者が群がるが、オリンポスからきた使者メルクールの助言に従い、金をばらまき彼らを退散させる。ダナエが貧しい生活に疲れユピテルの求めに応じるのでは、とメルクールにそそのかされたユピテルは再びダナエのもとへ行くが、あわれな老人という扱いを受け、あきらめてオリンポスに戻る。ダナエとミダスがめぐまれない環境の中で愛し合い生きていくことを示して幕となる。

深作健太の演出も、このオペラに埋め込まれたパロディー的な要素をうまく視覚化していた。ユピテルは槍を持ち、はじめは王位にふさわしい様子で、後半では薄汚れた扮装で登場する。『ニーベルングの指環』のヴォータンとさすらい人に対応づけられていることはすぐにわかる。第三幕は東日本大震災直後の福島が舞台。時計は2時46分で止まっており、冷蔵庫、電子レンジなどが壊れて転がる中で、ミダスとダナエは火をおこして調理する。舞台奥にはときおり赤く光る「フクイチ」がみえる。それまでの豊かで便利な生活を捨てても、生きていける、生きていこう、というのが演出家のメッセージだろうか。第一幕、第二幕も少ない舞台装置を上手に転換、光をうまく利用し、的確に場面を作っていた。

演奏面では、オーケストラは繊細さが必要な音楽を丁寧に、しかもいきいきと表現していた。歌手では、ダナエ、ミダス、ユピテルの三役が全幕で歌う箇所が多く、負荷は大きい。また、第三幕だけの登場ではあるが、メルクールも重要な役である。両キャストとも健闘していたとは思うが、ダナエでは、2006年に歌っていた佐々木の言葉や音楽の扱いに一日の長を感じた。ミダスに関しては、声の力という点では福井が優っていたが、もう少し柔軟な歌であってほしいとも感じた。菅野は後半疲れがみえたが、役にはあっていた。ユピテル役の小森だが、この日は、とくに前半で響きが薄く、言葉の扱いのうまさを活かしきれなかった。その点大沼は安定感があった。メルクールは、どちらも良く歌って、演技していた。個人的には糸賀の方が好み。ゼメレ、オイローパ、アルクメーネ、レダの四人(神話ではそれぞれユピテルの愛を受けたとされている)も、ユピテルとともに歌う場面があり、コミカルな歌や演技で楽しませてくれた。

集客という点では、こういった知られていないオペラの常として、空席も少なくなかった。しかし、終演後の拍手は大きく、公演に携わった人にとってうれしい結果だっただろう。今後もぜひこのような挑戦を続けていただきたい。

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