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仙台フィルハーモニー管弦楽団 東京特別演奏会|藤原聡

仙台フィル仙台フィルハーモニー管弦楽団 東京特別演奏会

2016年4月17日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)

<演奏>
指揮:パスカル・ヴェロ
レリオ役:渡部ギュウ
テノール:ジル・ラゴン
バリトン:宮本益光
合唱:仙台フィル第300回定期記念合唱団
合唱指揮:佐藤淳一、清水新
コンサートマスター:神谷未穂、西本幸弘

<曲目>
ベルリオーズ:『幻想交響曲』 ~ある芸術家の生涯~ 作品14a
同:『レリオ、または生への回帰』 叙情的モノドラマ 作品14b

恐らく実演では一生のうちに数回聴けるか聴けないか、だと思う。第300回目を迎えた仙台フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会。これを地元仙台での演奏はもちろん、東京にまで特別に持って来た。ベルリオーズ自身が想定した『幻想交響曲』と『レリオ』の連続演奏である。冒頭の文章はもちろん『レリオ』に対してのものだが、大掛かりな割には演奏効果があまり上がらず、ほとんど演劇に近いとも言いうるこの特異な作品を敢えて持って来る心意気に拍手(尚、当日のパンフレットにも記載のある天皇皇后両陛下のご臨席は、4月14日に発生した熊本の地震のために取りやめとなった。当夜のコンサートは、パンフレットの仙台市長・奥山恵美子氏によれば東日本大震災の被災地である仙台への5年間に渡る支援に対しての「感謝」の意味合いもあるとのこと。その公演直前のあの地震発生。何か因縁めいたものを感じたのは筆者だけではあるまい。楽員の皆さんは終演後にホールのロビーで盛んに熊本への募金を募っていた)。

コンサートがいきなり『幻想交響曲』から始まるというのも常ならぬ不思議な感触だが、ステージ下手奥には既に後半の『レリオ』のタイトルロールである渡部ギュウがいる。小さなステージには机に羽根ペン、ワインの瓶。ホール照明はあらかじめ半ば落とされている。指揮者のパスカル・ヴェロはそっとステージに現れ、暗い中でそのまま演奏が始まる。ちょっとオーケストラコンサートらしからぬ雰囲気に包まれるが、この照明は第1楽章の序奏が終わって主部に入るタイミングで明るくなる(第4楽章が終わってから再度照明が落とされ、終楽章で例の「固定楽想」のパロディが出てくる辺りでまた明るくなる)。
この『幻想交響曲』演奏の間、レリオはステージ上で無言の演技を行っている。第1楽章では苦悶に打ちひしがれている風情。酒を飲んだり煙草を吸ったり、何か発想が思い浮かんで書付けたり。第2楽章ではワルツを踊るが、第3楽章ではステージから去る。同楽章の終盤で再登場するが、第4楽章の<断頭台への行進>では机の上でのたうち回ったり、斬首の箇所では首を押さえたり。

つまり、言わずもがなだが後半の『レリオ』とのコンティニュイティを持たせるために楽曲の表題性に合わせた視覚的な演出が既に行なわれているということだ。しかしこれをどう取るかはそれぞれだろう。筆者は正直若干煩わしいと感じてしまったのだが…。
全曲が終わった後にすぐさまホールは完全に暗転。拍手も起きない。しばらくその状態が続き、明るくなった時には指揮者と楽員は既にステージを三々五々に去りかけている。これも「ここで終わりました」感を出さないための演出であり、会場には戸惑い気味の微妙な拍手がパラパラ。これはこれで面白いやり方だとは思う。休憩に。

さて、後半の『レリオ』。『幻想交響曲』の続きとして、毒で死ねないままで夢を見た幻影を語るレリオの独白から始まる。これは「叙情的モノドラマ」という副題が示すようにあくまでレリオの語りがメインであって、音楽は付随的に用いられているが、その音楽自体もベルリオーズ自身の過去作からの転用であり、作品全体の密度感としては『幻想交響曲』と同等に語れるものではないのは明白だろう。
しかし、物珍しさのせいもあろうがこれがなかなか面白い。個々の語りの内容だとか音楽の出来自体とか劇としてどうであるとかよりも、ベルリオーズというあの時代にあって破格のロマン主義者の精神構造であるとか発想源であるとかはたまた時代精神であるとか、そういうものが赤裸々に表出されていることに興味をそそられるのだ(レリオのセリフはベルリオーズ自身が書いたものだ)。
渡部ギュウはこの「大時代的な修辞を伴うテクスト」を見事に演じていたが、残念だったのはよく響くホールゆえにマイク音声が時に明白さに欠けてセリフが聞き取りにくい箇所が散見されたことだ。生声でも十分声は行き届いた気がするのだが…。

しかし、『レリオ』の珍しい実演に接することが出来たことも良かったとは言え、当夜最大の収穫はパスカル・ヴェロと仙台フィルの演奏の良さそれ自体だろう。筆者は録音でこのオーケストラの演奏には接していたが、実演で聴くのは初めて。しかし予想以上の上手さに驚いた。録音より明らかに高印象だ。木管に若干の粗が散見されたとは言え、弦楽器も金管楽器も大変に高水準であり、パスカル・ヴェロのストレートな解釈はオケの美質を巧みに引き出す(「斬首」でのEsクラリネットの芝居がかった表現は例外的に演劇的要素を強調したのだろうが、見事な演奏!)。東京のファンにも仙台フィルのすばらしさが大いにアピールできたのではなかろうか。事実終演後のホールは大いに湧いたが、今後はより頻繁に東京公演を行なって欲しいものである。
テノールのジル・ラゴン、バリトンの宮本益光、仙台フィル第300回定期記念合唱団も文句なし。殊に合唱は秀逸だった。