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京都市交響楽団 第604回定期演奏会|小石かつら

京響第604回定期チラシ京都市交響楽団 第604回定期演奏会

2016年8月19日 京都コンサートホール
Reviewed by 小石かつら(Katsura Koishi)

<演奏>
指揮:沼尻竜典
ピアノ:石井楓子
管弦楽:京都市交響楽団

<曲目>
三善晃:ピアノ協奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番 ハ短調 op.43

演目に惹かれて足をはこんだのだけれど、なによりすばらしかったのはピアノの石井楓子。プレトークにはGパンとTシャツ姿で登場し、指揮者の沼尻竜典と屈託のないおしゃべり。会場中が注視しているという環境ではなく、がやがやと人の出入りがある開演前のざわついた場に、すっと空から舞い降りたような華があって、爽やかに人を惹きつける。彼女が三善のコンチェルトを弾くんだ・・・と、期待が高まる。

三善晃のピアノ・コンチェルトは、私のイメージでは、パッセージ中に組み込まれた和音が多いために、ピアノの音の密度が濃い。そしてピアノとオーケストラ楽器との個別のやりとりも多い。つまりピアノがオーケストラと対置されている、いわゆる「コンチェルト」の雰囲気は少なく、ピアノとオーケストラが一体化して、その中で楽器間対話がくりひろげられるような曲だ。その、ピアノ・ソロ。石井は身体の動きがとても自然で、ピアノの音がすすむ方向性と、頭からつま先までの身体全体の方向性が、寸部違わずぴたりと合っている。はじまるやいなや、これはすごいと思った。見たことはないけれど、宙を背景にする龍の舞のよう。強靭な指でつかむ和音が、オーケストラを吸い込み、吸い込まれ、ぐるりとまわりつつ昇華する。息をのむ立体感に、三善も満足するだろうな、と思った。

先にも書いたプレトークの最後は沼尻がひとりで解説をしたのだが、彼のうれしそうな顔から繰り出されるオタクっぽい解説には、お腹がヒクヒクと笑い出す。「ボクの演奏では、ショスタコーヴィチの第一楽章は何分何十秒、第二楽章は何分」と、秒単位で予告。「4分33秒」といった短い作品ではなく、全体で1時間もある大作なのに、だ。本当かどうか検証しようと思っていたのに、本番中は演奏に夢中になってすっかり忘れてしまった。たいそう悔やまれる。と同時に、沼尻の冷静さに脱帽。

さて、そのショスタコーヴィチの交響曲『第4番』。沼尻はたぶん、すこぶる楽しそうに分解して、あっちから眺めたり、こっちから眺めたりと、さんざん楽譜上で幸せな時間を過ごして、つないで組み合わせて、オーケストラと音楽をつくりあげていったのだと思う。こう書くと、そんなことは指揮者にとってまるであたりまえの作業なのだけれど、彼は、精神性とか芸術性とか、ともすれば実体が明確ではないモノではなく、楽譜上の秘密を科学的に解きほぐしていく、とでも言おうか、ショスタコーヴィチの「おもい」を追求するのではなく、ショスタコーヴィチの「技法」を徹底的に追う。それで、108人もの大編成オーケストラが、自らの演奏に酔いしれることなく、大音響の渦に飲み込まれることもなく、的確にずんずんとすすんでいく。一方、ここぞ、という時には、のびのびと大きな音を思う存分響かせる。だから、聴いている側は、次々と目の前にあらわれる新しい世界にゾクゾク感が連続して、緊張の高まりがたまらない。

ショスタコーヴィチの『第4番』は、録音は多数あるにもかかわらず、実際に演奏される現場に出会うことはとても少ない。京響の定期演奏会は、土日の時は2回公演、平日の時は1回公演。今回は1回公演ではあったが、会場はほぼ満席。チケットは完売していたらしい。舞台いっぱいの演奏者と客席いっぱいの聴衆。実演でしか感じることのできない、空気のはりつめていく緊迫感と、人の存在がつみあげていく迫力。この一度きりの豊饒な経験は、真に得難いものだと実感した。