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トマス・コニエチュニー|佐伯ふみ

コニエチュニー東京・春・音楽祭 歌曲シリーズ vol.19
トマス・コニエチュニー

2016年4月13日 東京文化会館小ホール
Reviewed by 佐伯ふみ(Fumi Saeki)
Photos by 堀田力丸(写真提供:東京・春・音楽祭実行委員会)

<演奏>
トマス・コニエチュニー(バス・バリトン)
レフ・ナペラワ(ピアノ)

<曲目>
ラフマニノフの《ロマンス集》より

私は彼女の家に行った op.14-4
夜の静けさに op.4-3
いや、お願いだ、行かないで op.4-1
わが子よ、おまえは花のように美しい op.8-2
昨日私たちは会った op.26-13
私はすべてを奪われた op.26-2
思い op.8-3
昔から恋には慰めは少なく op.14-3
あなたは皆に愛される op.14-6
彼女は真昼のように美しい op.14-9

カヴァティーナ(歌劇《アレコ》より)

リヒャルト・シュトラウスの歌曲より

ひそやかな誘い op.27-3
夜の逍遥 op.29-3
明日には! op.27-4
私の思いのすべて op.21-1
ああ悲しい、不幸なる者よ op.21-4
ツェチーリエ op.27-2
あこがれ op.32-2
ああ恋人よ、私は別れねばならない op.21-3
万霊節 op.10-8
憩え、わが心 op.27-1
献呈 op.10-1
私はおまえを愛する op.37-2

マヤの物語(歌劇《ダナエの愛》より)

ワーグナー:オランダ人のモノローグ(歌劇《さまよえるオランダ人》より)

 

2014年の東京・春・音楽祭『ラインの黄金』公演でアルベリヒを演じ、高評を得たコニエチュニーが、今年はオープニングの『ジークフリート』(同役)と、歌曲リサイタルシリーズに登場。底光りするような独特の色合いと豊かな声量。実に魅力的な声と、もともとは役者としてスタートしたというキャリアも納得の迫真の演唱で、見事なリサイタルだった。

ラフマニノフの一連の『ロマンス』をたっぷりと聴けたことが、まず貴重。オペラ歌手の歌曲リサイタルは、往々にして、詩句の意味を繊細に読みといて表現するリート歌手よりも、何より本人のスター性や声の魅力が前面に出て、音楽づくりとしては大味な場合も多い。聴いていて飽きを感じることも少なくないのだが、コニエチュニーは違った。まず曲の選択と配列が、一つ一つの作品に対する読みの深さを感じさせる。そして、伴奏のナピェラワの表現力が素晴らしい。歌とピアノが渾然一体と一つの作品世界を作り上げている。リートをメインとする歌手ならば当たり前のことだが、オペラに軸足を置きながらこういったピアニストを選ぶことそのものが、コニエチュニーの見識を示している。曲間の拍手を要求せず、休憩まで一気に歌いつぐスタイルにも好感を持った。

開幕の堂々たる<私は彼女の家に行った>から一転、<ひそかな夜のしじまの中で>の柔らかで密やかな世界へ、声質も佇まいも鮮やかに変化する。第2曲目のこの曲には、長く魅力的な前奏と後奏があって、ピアニストもまた歌手と同じレベルで音楽づくりに参画していることを、そしてそれに値する優れた技量の持ち主であることを、さりげなく聴衆に伝えてくる(この日、喝采に応えるコニエチュニーはそのたびにピアノのナピェラワを指し示し、敬意を表していた)。ピアノの多彩な音色、絶妙の間合い、余韻を十分に味わう確信に満ちた音楽づくり。例えばこのあとの<彼女は真昼のように美しい>の、ひたひたと刻む音型、休憩後のシュトラウス『明日には』の大胆にテンポを落とした後奏、『ああ悲しい、不幸なる者よ』の馬車のひずめの音を模したユーモラスなフレーズなど、実に見事。

ピアニストの功績ばかり取り上げているようだが、そのような音楽づくりを主導しているのは、まぎれもなくコニエチュニーである。歌手とピアニストが共に、後奏の最後の音の余韻に耳を傾けている姿など、一見の価値がある。一方で、リート歌唱にまま見られる、歌詞の細かな意味内容にこだわりすぎる罠にはまらず、歌い上げるところではたっぷりと美声を聞かせてくれる。特に前半のラフマニノフは、シュトラウスに比べて音楽そのものがそれを要求していて、声量も音色もレンジの広さを駆使して、歌詞に応じドラマティックに語り、歌う。<昨日私たちは会った>の乾いた声音、「そして言った――“さようなら、またいつか”」の呟き。<昔から恋には慰めは少なく>は、敢えてオペラ・アリアのように高らかに歌い上げる。

後半のリヒャルト・シュトラウス。歌詞がロシア語からドイツ語に変わることが、こんなにも歌い手の身体と技術に変化を要求するものかと興味深かった。母音・子音を一つ一つくっきりと発音し、言葉の発音と音楽づけが緊密に関わるドイツ語。最初の3曲ほど、コニエチュニーがこの変化になじむまで若干、時間を要したようだ。意識してドイツ語を発音していることが伝わってくるし、『明日には!』では高音で(そしてのちの『あこがれ』では最後の“dich”が沈みすぎて)危うい場面が。しかし伸びやかな『私の思いのすべて』で波に乗った。『憩え、わが心』では、前奏の際のコニエチュニーの表情が忘れられない。音楽に没入し、言葉の一つ一つに思いをのせて、当夜のハイライトとも思える名演。

幕切れ、そしてアンコールは、オペラ歌手の本領発揮、ワーグナーである。『さまよえるオランダ人』のモノローグ、そして鳴りやまない拍手に応えて、『ワルキューレ』より<ヴォータンの別れ>。東京文化会館小ホールがまるで大劇場の舞台に見えてくるような、気宇壮大な、迫真の演唱だった。

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